ごきげんよう!さわこです

オクラの花がきれいです。

 

 

昨日は、ヨム・キプール。第7の月の10日。
 
SDA には馴染みの深い、大祭司が一年に一度、至聖所に入り、罪の贖いの儀式を行う日。
 
大祭司イエス様が天で聖所から至聖所にお入りになられることが、祭儀としてイスラエルの暦に刻まれて守られ続けられて、予表されていたことに感動した数年前の聖書通読。
 
そして、イエス様が、天で至聖所に入られたのが、1844.10.22 だと結びついた時の驚き。
 
今まで、何度となく聞いて来たメッセージでありましたのに、頭の片隅にしか入っていませんでした。
 
ユダヤの祭に焦点を合わせながら通読を続けているうちに、その真理を信仰で受け止める準備ができて来たのですね。
 
私のように、理解に手間どる者にとって、継続した聖書通読が、いかに大切なことであるのか、しみじみ分かりました。
 
レビ記16章に光がさしました。23章とともにレビ記が大好きになりました。
 
 
この日には、ヨナ書を読むようになっています。
スタディバイブルによれば、ヨナのヘブル語は、「鳩」を意味すると書いてありました。
 
昨日、朝のウォーキングで、近くで鳩を写せました。 
 
 
ヨナ書は異邦人も悔い改めれば救われることが書かれています。
 
イエス様は、サマリヤ人やカナン人、ローマ人にも接されて、ユダヤ人から罪人と軽蔑されていた異邦人たちの信仰を見抜かれおほめになりました。
 
神様は、パウロにも異邦人伝道の使命を与えました。
 
イスラエルが、神の民に選び出されたのは、真実の唯一の神を自分たちの民族、子々孫々だけでなく、すべての人々に伝えるために選民とされたのです。
 
ウォーキングの楽しみの一つは、
オクラの花に出会うこと。
 
 
聖書全体の流れを知ると、旧約はユダヤ人のために書かれたものであるが、
旧約で預言されていた救世主(メシア)が到来してから後に書かれた新約聖書は、
旧約聖書の成就であるから、十戒の第4条の「第七日を安息日として覚えよ」は、
「新約の時代になってからは、自動的に、日曜日を安息日として、聖日として礼拝をする日と変わったのですよ」
との神学は、聖書の一貫性に欠けるのではないだろうかと思えます。
 
 
マラナ・タ
詩編119:11
わたしはあなたに向かって
罪を犯すことのないように、
心のうちに御言葉をたくわえました。
 
詩編119:19
わたしはこの地にあっては寄留者です。
あなたの戒めをわたしに隠さないでください。
 
詩編119:31
あなたは、あなたの戒めから迷い出る
高ぶる者、呪われた者を責められます。