ごきげんよう!さわこです
通読箇所 マタイ13章から
きれいに掃除がしてあり、飾り付けまでしてある空き家に汚れた霊が帰って来た話。
マタイ13:43-45は、ルカ11:24-26にもあります。
スタディバイブルの注解より62ページ
「器が空にされるだけでは十分ではなく、キリストの恵みで満たされなくてはならない。
飾り付けられた家は、自己を義とする魂を表している。自己を義とする精神は、人間的装飾であり、自己称賛とお世辞で魂を飾り、自らを欺き、独善という基礎の上に家を建てる。」
さて、
その昔、座禅断食会に参加した時、
心の中の雑念を払い、無にせよ、空にせよ、と言われて、
参加者全員が困惑したのでした。
数を数えることに集中すれば良いと、言われて、20分間、数えました。
吐いて1、1秒。吸って2、2秒で、数えたものですから1200×2=2400。
速いスピード、浅い呼吸。
心は無になるどころか数字があふれ、鼓動は早まり。
焦るばかり、リラックスできません。
指導者に、こんな数え方でいいんですか? と聞いたら、あきれられまして。
「吐いて吸って1ですよ。
20分でおよそ70〜80回を目安にしたら良い」
と、教わりました。
初めに言ってくれ(泣)(笑)
さらに「おへその下、丹田と呼ばれるところに、気持ちを集中したらよい。」
(初めに教えてくれ〜・笑)
「呼吸のペースをつかむために数を数えるんですよ」と。
なぁんだ。そういう意味だったのね。
そして、呼吸のペースがつかめるようになったのでした。
そうしたら、私は、心を無にするだの、雑念退散だのと気にしなくなりました。
主の祈り、短い御言葉、を繰り返す。
心の中を神様で満たす。つまり自動的に、雑念、邪念が入り込まない。
この時、福音書の、きれいに掃除された空き家に汚れた霊が住み着く、このイエス様のたとえ話が思い出されました。
その後、4年間ほど、毎朝、継続。今は、時々しかしませんけれども。
早く、聖書、今日の光、聖書研究ガイド、など、読みたくて、
引き続きデボーションに入りたくて。
しかし、悩みや心配事が深い時、
心が嵐の海に揺れる小舟状態の時、
非常事態宣言的な時には、この祈りに取り組みます。
ただ、霊的渇きを御霊に告げ知らされる時には、いたします。
イエス様の足もとに座りこみイエス様のお言葉に耳を傾けたマリアのように。
また、イエス様の十字架の元に額づくために。
毎日はできなくても、定期的に、この沈思の祈りに与らせて頂かなくてはならないと。
この聖句の箇所から、自戒しました。
マラナ・タ
おはよう!加藤とらきち清正くん