ごきげんよう!さわこです
クリスチャンは、聖霊様について、どのように考えているのでしょうか。
異言を、天使の言葉であるとか、聖霊の言葉であるとの考えを聞くこともあります。
また、そうではなくて、外国語だという人もいます。
そういう次第で、横道にそれますが、
異言は聖霊様の言葉であるという誤解を未然に防ぐために、
異言とは、外国語だという箇所である使徒言行録2章4-11節を紹介します。
「すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちが来て住んでいたが、・・・彼らの生まれ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、誰もかれも聞いて呆気にとられた・・・いま、話しているこの人たちは,皆ガリラヤ人ではないか。それだのに、わたしたちがそれぞれ、生まれ故郷の国語を、彼らから聞かされるとは、いったいどうしたことか。・・・パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、メソポタミヤ、ユダヤ、カバドキヤ、ポント、アジヤ、フルギヤ、エジプト、クレネ、リビア、ローマ・・・あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」
13か国語で、使徒たちは神の大きな働きを述べたのです。
次に、異言を、特別なスピリチュアルな神秘体験、それを聖霊体験のように考えている人もいます。
そういう考えを支持する人には、異言と預言について書かれているコリント第一14章1ー40節を紹介します。
14章全体がその記述ですので、所々、省略しながら。
「愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それは誰にもわかりません。彼は、霊によって神秘を語っているのです。しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造りあげるためには、預言する者の方がまさっています。 ・・・・わたしが・・・異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、何の役に立つでしょう。・・・異言で語って、明確な言葉を口にしなければ、何を話しているか、どうしてわかってもらえましょう。・・・異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。・・・・霊で祈り、理性でも祈り・・・霊で讃美し、理性でも讃美することにしましょう。・・・わたしは、あなたがたの誰よりも多くの異言を語れることを感謝します。しかし、わたしは他の人たちを教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。・・・異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。・・・こういうわけですから、預言することを熱心に求めなさい。そして、異言を語ることを禁じてはなりません。しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい」
聖書を根拠として、聖書の三位一体(御父、御子、御霊)の神様のお一人として、伝わってくるお姿は以下に記す通りです。
2020年度3期安息日学校聖書研究ガイド副読本
第5章40ページより抜粋しました。
①聖霊様は、私たちの助け主です。
②聖霊を表わすギリシャ語はパラクレートス。
「私たちと共におられるお方」という意味なのです。
③ 聖霊は、私たちと共に歩まれ、
④ 私たちの証しに力を与え、
⑤ 私たちの言葉を導き、
⑥ キリストのための私たちの奉仕を動機づけるお方なのです。
⑦ 聖霊の働きの目的は、イエスを「証しする」ことです。
ヨハネ15:26-27 新改訳
「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。あなたがたもあかしするのです。」
マシュウ・ヘンリー(聖書註解者)
「聖霊の働きは、私たちに取って代わることではなく、私たちと結びつき、励ましを与えることなのです」
⑧ 私たちの働きは、人々をイエスとその真理に導く際に、聖霊と協力するということです。
⑨ 説得し、回心を与えるのは、聖霊の働きです。
⑩ 真理と義を明らかにするのは聖霊の働きです。
⑪ 心の中に正しいことを選ぶ力を生じさせるのは、聖霊の働きです。
ヨハネによる福音書14章から16章におけるイエス様のお言葉は、聖霊の働きに関する新約聖書の主要な教えです。
ヨハネ16:7新改訳
「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします」
また、パウロの書簡からも聖霊様がよくわかります。
テトス3:5-6
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、ご自分のあわれみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、あらたに作りかえる洗いを通して実現したのです。神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。
テモテ第2 3:16
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
テモテ第2 1:14
あなたにゆだねられている善いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。
テサロニケ第1 4:8
ですから、これらの警告を拒む者、人を拒むのではなく、ご自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。
コリント第2 1:22
神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に”霊”を与えてくださいました。
コリント第2 5:5
わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは神です。神は、その保証として”霊”を与えてくださったのです。
ローマ8章 5節
肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。
ローマ8:9
神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。
ローマ8:11
イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
ローマ8:14
神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
捜せば、まだまだ、見つかりますが、今日はひとまずここまでで。
マラナ・タ
聖霊様は、「エネルギー」「力」そのものではなく、ご人格・こころをお持ちです。
悲しまれるお方、喜ばれるお方、人間でいうところの感情をお持ちです。
ですから、話す時に私は「聖霊」と呼び切りができません。
ご聖霊、御霊、聖霊様、このように及びいたします。