ごきげんよう!さわこです

 

昨日の夕暮れ

月齢8.4

 

2020.7.30 [今日の光]を読みながら

聖霊の神様のお働きを再確認しました。

 
 

キリストがご自分の御霊(聖霊)を残して行かれたのは、

 

この歴史の最も厳粛な時代を生きる私たちのためでありました。

 

聖霊を、この世におけるご自分の代表者とするためでありました。

 

唯一の神を知りたいと渇望する飢え渇く魂のためでありました。

 

死の谷と影の中にある人々に光を与えるためでありました。

 

唯一の神を信じる者たちが、神の恵みの律法を実践できるためでありました。

 

キリストによって養われ、神の本質に与るものとなり、真理のための生きた番人として立つためでありました。

 

 

聖霊様が、分からないという人と、

聖霊の神様が一番身近です、という人に分かれます。

 

どうしたら聖霊がわかるの?

クリスチャンでの中にも、「どうしたら、聖霊が分かるの?」

と、聞いて来られる方がいます。

 

「ヨハネ福音書16章を読めばわかりますよ」

とお答えします。

 

何か特別な、理解の仕方や勉強法やコツがあるのかと勘違いしていらっしゃるみたいです。

 

特別な神秘体験を伴うとか、外国語ではない異言を語れるとか、そんなふうに。

 

勿論、不思議体験、神秘的な体験を伴う方もいらっしゃるようですが、

それって、特殊な、個人的な、その方限定の体験ではないでしょうか。

 

聖書の理解を助けてくださる。

イエス様の十字架の意味が分かりはじめる。

 

天地創造を信じられることも、

大自然のマクロ、小自然のミクロ、こうした世界を見聞きするだけでも

神の御手を感じ取ることができたりするならば、聖霊の神様のお働きが、降っているのです。

 

十字架だけでなく、復活も、歴史的事実として信じられることも。

 

聖書を読んでいて、また、礼拝説教を聴いていて、

感謝と喜びだけでなく、

今まで、自覚出来ていなかった、ことがらに心を刺されて、

たまらなく、不快になったりするなら、責めたてられていると感じるならば、

聖霊の神様が「悔い改め」という贈物をくださっている証拠。

 

そこで、心に平安と、喜びと、生きる力を求めてきたのに、

なによ、この説教は、不快せんばん。

やさしさも、思いやりも、配慮もない! と怒り心頭に達するならば、

 

その人の、心に神様のメスが入った証拠。

 

もし、こんな失礼なことを言うのならば、

別の教会に行きますよ!

訳の分からないお話を聞いてやっているのに、

最終的には、人にケチをつけるんですか!

教会は、いっぱいありますからね。

ここだけじゃないのよ。

 

と口に出す人もいれば、

 

私にはレベルが高すぎまして・・・と仰る方も。

 

 

もし、そういう方が、私に苦情を言ってこられたならば(笑)

ヘブライ人への手紙4章12節を紹介します。

 

「というのは、神の言葉は生きており、

力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、

精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、

心の思いや考えを見分けることができるからです。」

 

聖書を読んでも、お礼拝にいらしても、

自分の好みに合ったところにしか目がいかないならば、

自分の感情や知性を、神様より高く置いている証拠です。

 

怒りは、そうした高慢さや頑なさが、叩かれ砕かれるための序章。

心を低くして頂けるグッドチャンスの到来です。

 

真実の神様を必要としている罪人である証拠。

神様に愛され、救いの対象となっている証拠。

 

マラナ・タ

ヘブライ4章13節も紹介して差し上げたいわ。

「さらに、神の御前では

隠された被造物は一つもなく、

すべての者が神の目には裸であり、

さらけ出されているのです。

この神に対して、わたしたちは自分のことを

申し述べねばなりません。」