ごきげんよう!さわこです。

 

コロナウイルスのために、私たちの教会も閉鎖されています。

昨夜、信仰の友とラインで語り合っている時に、祈りがあふれてきました。

思わず、彼女への返信に祈りを綴りました。

 

 

 

御言葉に立つ祈りヘと、
神の民が導かれますように。
自分たちの願いを訴えるところから
祈りは始まりますが、 
御言葉に根差した祈りを祈らせて頂く、
そんな祈りの民になりますように。

 

 

さて、今朝の通読はコリント第一の手紙11章でした。

 

「主にあっては、男なしに女はいないし、女なしに男はいない。すべてのものは神から出たのである。」



コリント第一11章 スタディバイブルの脚注 新約 370ページより、引用しました。


コリント人は主の晩餐の真の意味を歪めて、異教徒の祭を真似ていた。

彼らはキリストの苦難と死を祝うために集まっていたが、その場を宴会と楽しみの時間に変えていた。

聖餐にあずかるというより、社交の食事を兼ね合わせる習慣になっていた。

そこでパウロは主の晩餐の秩序と目的を与え、この神聖な式典を歪めることのないように警告したのである。

 

この引用文について

信仰の友とデボーションが始まりました。

 

友・・今の教会が その様になっていないだろうか 反省します。
   どうしたら良いのだろう。生けるキリストが居られないのではないか・・・

 

私・・・そのようになっていても、仲良きことは美しきかなって思っているだけかもしれない。
   聖霊様の働きを受け、信仰の感度が研ぎ澄まされますようにと、  

   それぞれのひそかな祈りに神様が働いてくださいますことを信じて祈ります。

 

友・・・仲良しクラブにとどまることなく、自分の罪、教会の罪を潔く認めて、

  真の悔い改めを祈りとする集まりとなれたら主は喜んでくださるでしょう。

 

私・・・私を、日々、新しいいのちへと造り変えてください、と祈ります。あなたもわたしも。わたしたちもあなたたちも。

 

友・・・日々、イエス様との生きた出会いによって新生の体験をいただきたい それが切なる 祈りです。

 

 

マラナ・タ

主よ、私たち、恵みによる自己吟味によって、真の悔い改めへと導いて、キリストの霊を持つ者へと引き上げてください。