ごきげんよう!さわこです。

 

 

詩編55編は、ダビデが息子アブサロムの反乱にあったときに書いたと言われています。

アブサロムもまた、父ダビデから見放されたように思う時があったに違いないのでしょう。

信頼し合い、愛し合っていた家族の中で、いくつもの行き違いが、ねじれあってねじれあって

息子の愛は憎しみと憤りに変わって行った。

ダビデは王としては有能であったが、父としては家庭人としては問題であったという解説を読んだことがあります。

読んだ時、とても悲しい思いになりました。

聖書に登場する信仰の勇者たちの人間としての不十分さ不完全さ、犯す過ちの数々。

その人その人の弱点に狙いを定めるサタンの脅威。

私たちも、完全な家庭ではない。

私たちも、完全な人間関係を持ちえない。

 

詩編55編から、御言葉のパッチワークをしつつ、嘆き祈りました。

 

神よ、わたしの祈りに耳を傾けてください。

嘆き求めるわたしから隠れないでください。

わたしに耳を傾け答えてください。

わたしは 悩みの中にあってうろたえています。

わたしは不安です。

 

敵が声をあげ、神に逆らう者が迫ります。

彼らはわたしに災いを降りかからせようとし

憤って襲いかかります。

 

胸の中で心はもだえ

わたしはしの恐怖に襲われています。

 

わたしに翼があれば

はるか遠くに逃れて

烈しい風と嵐を避け

身を隠すこともできようものを。

 

分裂を引き起こす災いの舌が

昼も夜も、都の城壁の上を巡り

町中には災いと労苦が、搾取と詐欺が、

滅びがあります。

 

ああ、わたしをあざける者が敵であればいいのに。

それなら、耐えることも出来るのに。

 

だが、それは、わたしの友。

親しく交わり、楽しく語らい

神殿の中で共に讃美と祈りをささげたものだった。

 

夕べも朝も、そして昼も

わたしは悩んで呻き、神を呼ぶ。

いにしえから居まし、変わることのない神よ。

神よ、わたしを救ってください。

神よ、わたしの声を聞いてください。

わたしのたましいを贖い出し、平和に守ってください。

 

自分の仲間に手を下す者よ。

その心に戦いの思いを抱きながら、

香油よりも優しい言葉を語る者よ。

なめらかに語る舌は、抜き身の剣のようだ。

 

神のわたしへの言葉を思い起します。

「あなたの重荷を主にゆだねよ。

主はあなたを支えてくださる。

主は従う者を支え

とこしえに動揺しないように計らってくださる」

 

わたしは、主よ、あなたに、あなたにだけ、依り頼みます。

 

マラナ・タ

紫陽花の一番乗りを見つけました。