ごきげんよう!さわこです

 

昨日の夕暮れ桜🌸

 

 

聖書の力に関して、最も説得力のある証拠の一つは、人の変えられた人生です。

 

 

聖書は他の本のように解釈はできません。

なぜなら、神の生ける言葉である聖書は、真理をことごとく悟らせてくださると約束された聖霊によって、生けるキリストの光に照らしてこそ、理解できるからです。

 

 

神の真理の啓示である聖書には、解釈のための内部原則が含まれています。

その原則とは、旧約聖書と新約聖書が、互いに補いあって、聖書が聖書を解釈させるという研究方法です。      

 

(2020.4.2 安息日学校聖書研究ガイド より)

 

 

・・・感想
私たちは、聖書を納得するために、人間の思想・価値観・体験・感性・知性・美意識・直感・人間の学問・哲学といった方法で解釈しようとしてしまいます。

それで、ある部分は答えを手に入れられるかもしれません。

 

すると、人間的解釈を物差しにして、聖書を読み始めます。

少しずつブレて行きます。そのブレにはなかなか気づきません。


そうして、自分流神学の教祖様に、自分がなってしまいます。

こうした聖書の読み方を、傲慢であるとか、神様への不敬な不遜な態度であるとか、なかなか気づかないものです。

 

エデンの園に罪が侵入して以来、人間の中には謙遜さはなくなってしまいました。

地上世界はサタンの支配下にあるからです。

 

私たちひとりひとりが、神様に立ち返り(悔い改めて)、

自我・自己を滅却し(自分を神様に明け渡し)て、

聖霊様の導きに従って聖書を読まない限り、なかなか、聖書の真理への目は開かれないのかもしれません。

 

マラナ・タ