ごきげんよう!さわこです

朝、7時の北山 快晴

 

今朝の通読は使徒言行録3章
3:17-19
ペテロの言葉です。

「・・・あなた方は知らずにあのような事をしたのであり・・・だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ち帰りなさい」

 

スタディバイブル新約272ページには、

故意の無知は言い訳できない、と書いてあります。
さらに、

「しかし、彼らはなぜ知らなかったのであろうか。彼らは知らないことを選んだからである。彼らは探求し研究することに何の興味も持たなかったので、彼らの無知は永遠の滅びとなった。彼らは自分たちの信仰の土台となる最も強力な証拠を受け入れる責任が神に対してあった。彼らの不信が、無限の神のひとり子の血に対して、彼らを有罪とした」

 

 陽の昇りが早くなりました。

 

・・・感想

彼らとは、イエス様の地上生涯の時代に生きた、ファリサイ派、律法学者、祭司たちユダヤ教の指導者たちを指します。聖霊、すなわち律法の書の専門家たちでありました。

 

では、現代の私たちクリスチャンに如何に適用できるでしょうか。

 

名ばかりの自称クリスチャンになり下がってはいないか。

神との交わりとなること一切を、怠けてはいないか。
優先順位の一番にしていないことを、いろんな理由づけや自己正当化で、曖昧にしてはいないか。

あるいは、教会活動などに熱心のあまり、家族に負担を強いて、愛の配慮が不足し、神様ヘの誤解に繋がってはないか。

 

神のみこころに適う悔い改めに導かれているだろうか。

自分サイズに合わせた悔い改めをデザインしてはいないか。

                                    などなど。

 

省みてみると、自らのグレーゾーンが、浮き上がって来ます。

御霊に導かれて、聖書や証の書、信仰の書によって目が開かれることがたくさんあります。

 

マラナ・タ

ジョン・ウエスレーの祈りを今朝はお捧げしなくては。

 

すべてをおゆるしください
ああ 主よ

なすべきことをなさなかった罪
なすべからずことをなした罪

若き日の罪 分別ざかりの罪
魂の罪 肉体の罪 

ひそかな罪 公然たる罪
故意に犯した罪 出しゃばりの罪

自分を喜ばせるために犯した罪
他人を喜ばせるために犯した罪

私たちが知り また覚えている罪
忘れた罪 また他人の目から隠そうとした罪
他人を躓かせた罪

ああ すべてを 主よ
私たちの罪のゆえに死に
今も神の右に坐して
執り成してくださっている
イエス・キリストの御名のゆえに