ごきげんよう!さわこです

昨日、信仰の姉妹からこの祈りが届きました。

 

 

ジョン・ウエスレーの祈り

 

すべてをおゆるしください
ああ 主よ

なすべきことをなさなかった罪
なすべからずことをなした罪

若き日の罪 分別ざかりの罪
魂の罪 肉体の罪 

ひそかな罪 公然たる罪
故意に犯した罪 出しゃばりの罪

自分を喜ばせるために犯した罪
他人を喜ばせるために犯した罪

私たちが知り また覚えている罪
忘れた罪 また他人の目から隠そうとした罪
他人を躓かせた罪

ああ すべてを 主よ
私たちの罪のゆえに死に
今も神の右に坐して
執り成してくださっている
イエス・キリストの御名のゆえに
おゆるしください。

 

 

私たちが、罪を漠然としたままに「罪」と呼んでいるのなら、罪への自覚はないのかもしれない。
「罪を赦してくださ」と祈る祈りの浅はかさを見せつけたような思いがしました。

ともすれば、感傷的に、悔い改めますと祈る祈りの実体の無さを思い知らされました。

 

私たちのこうした罪の一つ一つが、イエス様の手と足に釘を打ちつけた音となって、私の魂に響きました。  
鈍い音が、次第に明瞭に耳もとで響きました。

クリスチャンと名乗る者たちの中に潜む高慢さに気づいているか。
イエスの品性にはほど遠いにも関わらず、クリスチャンであるからと特別意識を持っていないか。


芋づる式に、我らクリスチャンの高慢さの罪が明白になって迫り来ました。

キリスト教国家の歴史的犯罪としての罪、クリスチャンたちの自己正義の陰に隠れている罪。

それらが露わにされてゆくウエスレーの祈りに私の魂はおののきました。

 

 

マラナ・タ

昨日3月1日の「今日の光」より抜粋
アダムのすべての息子・娘の悪しき行い、悪しき思い、悪しき言葉はキリストの聖なる魂にのしかかる。

キリストは人の身代わりとなられた。

すべての罪人の罪を負われた。すべての不義がキリストに転嫁されたからである。