ごきげんよう!さわこです
聖書通読 ルカによる福音書17章より
我々はキリストの功績を通してのみ受け入れられる。
我々のなす慈悲の行いや愛の行為は、信仰の実であって、これらは我々にとって祝福となる。
なぜなら、人はその仕業に応じて報いを受けるからである。
我々の善行を神が受け入れてくださるのは、キリストの功績のゆえである。
我々の行為そのものに功績はない。
善行は、罪をゆるす神の愛が働いている結果に過ぎない。
善行は我々に何の手柄ももたらさない。
救いは、信じる者に与えられる神の無償の賜物であり、ただキリストのためだけに、与えられるものである。
悩める魂は、キリストに対する信仰によって平安を見いだすことができ、その平安は信仰と信頼に比例して与えられる。 自らの救いの理由として、自分の善行を提示することはできない。
(スタディバイブル新約184ページ)
マラナ・タ
キリストの功績とは、十字架の贖い。