ごきげんよう!さわこです
昨夜9時に寝てしまいました。
すると、3時に目覚めてしまいました。
こんな日には、デボーションがたっぷりできます。
安息日学校聖書研究ガイド 2020.2.15午後より
ここを読んで象徴的表現の7章の輪郭が見えて来ました。
①幻は夜、見せられ、四方からの風で波立つ海を描いています。
闇と水は天地創造を連想させますが、ここでは創造がどことなく歪んでおり、攻撃にさらされています。
②幻の中の動物たちは、汚れた合成体でそれは創造された秩序の侵害をあらわしています。
③この動物たちは、支配力を行使しているように描かれており、それゆえ、神がエデンでアダムにお与えになった支配権が、これらの勢力によって奪われたかのように見えます。
④人の子の到来(イエスの再臨)によって、神の支配権が戻されます。アダムがエデンの園で失ったものが、天を裁きの中で回復するのです。
続いて、安息日学校聖書研究ガイド 2020.2.16
ダニエル7章で示されているそれぞれの獣の幻は、2章でのネブカドネザルの夢にあらわされた像の各部に相当します。
異教の国々を象徴する生き物がみな汚れた獣であります。
獅子・・・バビロニア王国、後に衰退
熊・・・メディアとペルシャ帝国の主要な占領地を表す
豹・・・アレキサンダー大王が樹立したギリシャ帝国
4番目のものすごく恐ろしい獣・・・
最初の3つの獣は、獅子のよう、熊のよう、豹のようと書かれていますが、これは何かに似ているとは描かれていません。たくさんの角を持つこの獣は、先に登場した獣たちよりも残酷で強欲にも見えます。鉄の足で世界を知って征服し、支配し、踏みにじった異教ローマを表しています。
人類史の数千年は、預言された通りに過ぎ去って行きました。
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デボーション
初めて読んだ時、歴史好きな少女時代を過ごした私は、世界史の教科書とおりだ!!!
と感動し、歴史を支配する神の存在に確信を持ちました。
しかし、次なる疑問が頭をもたげました。
日本のことは書かれていない。東アジア、アメリカ大陸、オセアニア大陸も書かれていない。
中東、ヨーロッパについての歴史的予言に過ぎないではないか? と。
(やがてアメリカ合衆国も登場しましたが、今のアメリカの動向には目が離せない)
世界史の一部しか書かれていないのに聖書の神を信じることができようか?
ふと、思いました。
味噌汁を味見するとき、小皿に入れた少量で分かる。全部飲み切らなくても分かる。
中近東、ヨーロッパに関する歴史の成就が、聖書の予言どおりだと分かっただけでも、予言は預言、神の言葉を神から預かった預言だと考えられなくはないか? と。
これは、世界歴史を支配されるお方の存在を神として理解する理性的受容でした。
次に、
聖書の言葉は、神の言、イエス・キリストそのものであるとの、ヨハネ福音書の一章1から4節。
それを疑いもなく信じるに至る体験を持っていました。
聖書通信講座で、私はコリント第一の手紙10:13ですでに生ける神キリストの実在を瞬時に体験していた事実がありました。
御言葉が、普遍的ロゴスから、個人的レーマとして臨んで来た時、聖書の神を我が主・我が神・我が救い主と受け入れてしまいました。
イエス様に捕らえられた。捕まった。拿捕された。
あたたかいものに包まれて、私は、すでに神に知られているとの安堵の涙がとまりませんでした。
キリスト様を個人的に理解する主観的体験と、聖書を歴史的預言書として客観的に学習することを続ける、この両輪が必要ではないかしらと。
毎日の密室での個人礼拝、デボーションとも言えます。
7日目ごとの安息日に礼拝すること。教会で神の家族と共に交わる安息日学校・安息日礼拝。
個人礼拝はひとりでできます。
家族がクリスチャンなら家庭礼拝ができます。
教会が遠ければ、教会に行けなくても、安息日という時間が神様の方から来てくださいます。
このことは、病床にある時、高齢になった時、教会に行けなくなった時に力を発揮します。
マラナ・タ
日々、主を待ち望む、絶えず祈ること、そうして御再臨に備える。
それが、クリスチャンの基本ではないかしら。
そこに聖霊様が力強く働いてくださるので、クリスチャンの存在そのものが伝道者として
用いられるのではないだろうか・・・。