ごきげんよう!さわこです

 


イェスよこの身を ゆかせたまえ 
愛のあふるる 十字架さして
我はほこらん ただ十字架を
あまつ憩いに 入るときまで

 

この讃美歌があふれて目覚めました。
 

私たちの希望は、十字架抜きではあり得ないことを。

また、イエスの信仰と一つになって、この世を生きるには、

自分の十字架を背負うことを引き受けなくては、ならないことを

再認識せずにはいられませんでした。

 

 

マタイ10:38

「また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」

この御言葉が迫りました。

 

しかし、イエス様は共に負ってくださる。 
マタイ11:29.30

「・・・わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」

 

イエス様は、私たちがこの地上人生を歩む心の重さ、痛み、苦悩のすべてを知っていてくださる。

私たちの苦しみは永遠ではない。暫くの間、暫定的なものだとの御言葉を思いました。

 

ペテロの手紙第5:10

「・・・神ご自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、

強め、力づけ、揺らぐことのないようにしてくださいます」

 

ペテロの手紙第1:6.7

「・・・今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、

あなたがたの信仰は、その試練によってほんものと証明され、

火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、

イエス・キリストが現れる時には、称賛と光栄と誉れをもたらすのです」

 

 

この二つの御言葉を思い起こさせて下さり、

御再臨の希望、永遠に目を向けさせてくださいました。

 

マラナ・タ

讃美歌で、目覚めさせてくださり、

デボーションを与えてくださった神様、

新しい年のはじめの祝福。