ごきげんよう!さわこです。

昨日の夕焼けです。

今朝は天気予報通り、雨。

 

 

今朝の通読はエレミヤ書 9章.10章。

 

9章4-6節

「あなたがたは、おのおの隣り人に気をつけよ。どの兄弟をも信じてはならない。

兄弟はみな、押しのける者であり、隣り人はみな、ののしって歩く者だからである。

人はみな、その隣人を欺き、真実を言う者はない。

彼らは自分の舌に偽りを言うことを教え、悪を行い、

疲れて悔い改めるいとまもなく・・・わたしを知ることを拒んでいると、主は言われる。」

 

まあ、聖書にこんな言葉があるなんて。

隣人愛を説き、

人を自分よりも優れていると思いなさい。

誰であれ、人を尊敬しなさい。

自分より人を愛しなさい。

と教え、親切であり、柔和であり、寛容であれと教えている聖書に

こんな、人を貶めるようなことが書かれているなんて・・・

と言う人もいるでしょうか?

 

聖書を読むことで、徳が積まれて、

誰彼に、自分を捨てて尽くすこと。

善を持って悪に対抗することで、天に宝を積むのです、

と道徳を教えているのがキリスト教ではありませんか?

と混乱する人もいるでしょうか?

 

無差別に、自分を捨てて他者に尽くすこと、それがイエス様の生き方。

確かにそうです。

十字架の贖いは、善人悪人、信じる者、信じない者、分け隔てなく

人類皆に提供されている。

自分以外は善、自分以外は正義、自分は罪びとだから、という純粋に見える信仰心。

このような方程式を聖書は組み立てているのではありません。

 

 

 

友人だから、兄弟だから、

イエス様を信じると公言している人だから、

優秀な人だから、要職にある人だから、

知識ある人だから、

多くの人から信頼され愛されている人だから、

聖書をよく知っている人だから、

よく祈っている人だから、

・・・あげればきりがありませんが、

 

 

御言葉を、聖書を、イエス・キリストを、根拠としないで、

自分の感触、自分の感情を、自分の直感的を根拠に判断することは、

サタンからの誘惑を、自ら引き寄せることになりはしないでしょうか。

 

自分の直感・直観すら、信仰者は

神様から私への語りかけと思い込みます。

聖書を通してではなく、私個人に直接語ってくださったの・・・

だって私はクリスチャンだから・・・と。

 

私たちの周りにある霊は、

神様の霊(聖霊)だけではありません。

サタンとその配下の霊(悪霊)もあります。

 

私たちは、良い麦と毒麦が混在した中に生きています。

それを覚えておきたいものです。

 

キリスト教会だからって、全部が良い麦とは限らない。

混乱させようと、サタンは紛れ込むのですから。

光の天使を装うのですから。

本物の天使に向かって「お前は悪天使だ」と言っている時があるかもしれません。

 

常に神様から識別力を頂きましょう。

 

 

マラナ・タ

御言葉の、本物の、真理を読み取れるように

ご聖霊を求めましょう。

倦むことなく、途切れることなく。

 

今朝のエレミヤ書9章4-6節からのデボーション。