ごきげんよう!さわこです。
昨日の日めくり。
今朝になって、破るまで、見るたびに思い巡らせていました。
真の命とは? それを得るとは? 未来とは?備えるとは? 堅固な基礎とは? 築くとは?
ツッコミところがたくさん。この短い聖句に、永遠の命に関わるフレーズが6つもあります。
来年はこの日めくりを購入するのをどうしようか?経費節減のために・・・なんて考えることもあります。
あまりにピンとこない聖句が続いたりすると(選者の方にごめんなさい)
しかし、ヒットしたり、ホームランだったりすると、
一日眺めて、思いを注ぎ出すきっかけをもらったことへの、感謝と喜びが湧いてきます。
やっぱり注文しよう。キリスト教書店さんに。
今朝、7時前後の北山には、雲が流れていました。
台風19号が、日本に向かっています。
さて、私は、聖書研究をするまでは永遠の命を知りませんでした。
人の命の尊さについては、ヒューマニズム的観点からの平和的(戦争は悪だとか)理解でした。
真の命があるということは、真の命になり得ていない命があるということです。
イエスに会って、イエス様を我が神・我が主・我が救い主と信じた時に、私は新生しました。
真の命を得たのです。
しかし、この真の命は、一度信じたから、バプテスマを受けたから、教会員名簿に載ったから、
永遠に有効ではなく、
この関係は、毎日、日々寸寸、イエス様と交わり、繋がり続けなくては、不確かになって行くのです。
信仰は、毎日御言葉によるイエス様との交わりが、各自の土台にないならば、
毎週礼拝に教会に行っていても、教会の御用もご奉仕も、
信者たちとの友情も、習慣的になってしまう。
教会活動が、PTAやボランティア活動と、似たような感じになってしまいかねない。
あるいは、カルチャースクールのような。
自分の信仰の土台となるためには、どうやってイエス様と交わる?
祈る、聖書を読む、聖書から神様の御心に思いを巡らせる、
それをデボーションと呼ぶのだと十年くらい前に知りましたが、
私は、その時にはすでにやっておりました。
私にとって、デボーションは命綱でしたから。
デボーションとは、何か特別なことではありません。
祈り、聖書を読み、今日、与えられたみことばが、
私のうちでロゴスからレーマに変わること、
それが私にとってのボーションの役目です。
東の空に目を転じると、太陽が昇っていました。
マラナ・タ
昨日の聖句日めくりカレンダーから
一日かけてのデボーション。
ちなみに我が家はこの日めくりをお手洗いに欠けてあります。
日に何度も家族が出入りする場所を選んで。