ごきげんよう!さわこです。
今朝、777の祈りのために屋上に上がった時、室外機の陰で咲いていた朝顔です。
とても小さかった。頑張って咲いたねと声をかけました。
9月12日に書きかけたまま下書きでおいてありました。
ようやく続きを書いてひとまず投稿します。
二つの注釈書より紹介。
1、新改訳バイブルナビ注釈より
福音の中心主題とは
①キリストは私たちの罪のために死なれた。これは真理である。
キリストの十字架は、信じる者すべての救いをなし遂げるための神の御計画の一部。
②キリストは現実に死なれ、墓に葬られた。
③キリストは三日目に蘇えられた。金曜の午後から日曜日の午前までの三日間で起こった。
この三日を強調するためにマタイ12:40でヨナを引き合いに出された。
「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです」
ヨナ書1:17「主は大きな魚を備えて、ヨナを呑みこませた。ヨナは三日三晩、魚の中にいた。
④多くの人たちが復活後のイエスを見た。
12人のイエスの弟子たち。500人以上の信者たち。
この記事をパウロが書いたとき、多くの人たちが生きていて目撃したのです。
⑤パウロは、イエスが生きていた時代にも復活してからも、キリスト教会の敵であり、
信者たちを迫害していましたが、ダマスコへの道で復活のイエスに出会って、回心したのでした。
パウロは、使徒たちの中でもっとも影響力のある働きをしたのですが、非常に謙虚でした。
2、ヘンリー・H・ハーレー著新聖書ハンドブックより
①コリント教会の指導者たちの中に、復活をすでに否定している者がいたという事実は、
もうすでに誤まった教義が教会の中に入りこんでいたことを示している。
※この解説を読んで私の思ったこと、誤まった教義としてこの三つが思い浮かびます。
・サドカイ派の人々は、イエス様が生きておられた時代からすでに復活はないという教義を持っていた。
そのことで、ファリサイ派の人々と反目し合っていた。
・ギリシャ思想(霊と肉という二元論)が入って来ていた。
・旧約の時代から、すでにあったイスラエル・ユダヤ周辺の偶像崇拝思想(神様が厳しく忠告していた)
②イエスの復活は、復活後にイエスの生きた姿を見た実際の証人によって証言された歴史的事実である。
この手紙が書かれる27年前に500人の人の前に復活のイエスが現れた。その半数以上の人たちは生きていた。
③イエスの肉体を伴った復活は、イエスを信じる人間が、死んでもイエスのように肉体を伴って復活することを示唆している。
④歴史的な証拠に関するするあらゆる法則によれば、復活は事実である。
キリストは存在し、今も存在している。生きている人格である。
コリント第一15章3-4節のパウロの言葉
私が、あなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、聖書の示す通りに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、
また、聖書の示す通りに、三日目に蘇えられたこと・・・
そしてイエスさまは、復活から40日目に昇天なさいました。
天の父なる神様のおられる神のみ座のある天の聖所にお帰りになられたのです。
そこで、大祭司として働いてくださっています。
と同時に、10日目(十字架から50日目、シャブオットの祭りの日)にキリストの御霊である聖霊が地上に豊かに降られました。
このことは、ギリシャ語で50を意味するペンテコステの聖霊降下の祭りとして、今もキリスト教会暦で祝われています。
ここから、初代教会が発足しました。
あの弱虫で卑怯者だったイエス様の弟子たちは、
・イエスの復活を見た。
・イエスが約束された助け主としての聖霊をゆたかに受けた。
この二つの出来事によって、死をも恐れぬ伝道宣教者となって、ユダヤの周辺の国々に、
イエスの十字架と復活と最後のさばきと再臨を伝える者となって行ったのです。
マラナ・タ
私たちクリスチャンは、それぞれの個人的体験によって、今も生ける神キリストに会っています。
イエス・キリストの御名による祈りは、神様との対話であり、魂の呼吸であるのです。