ごきげんよう!さわこです。
教会祈祷会では、各時代の大争闘を輪読しています。
先週は、第16章アメリカ合衆国と建国の精神。新書判336-339ページより。
深く心に留まった所です。
以下。
改革者たちは、ローマの教義を否定したが、その狭量な精神から完全にぬけきってはいなかった。
法王権の長期にわたる支配下において、キリスト教会全体をおおった濃い暗黒は、まだ全部消え去ってはいなかった。
植民地が創設されてから11年後に、ロージャー・ウイリアムスがアメリカに来た。
彼は、当時まだ、ほとんど誰もが気づいていなかったこと、
すなわち、
宗教の自由はすべての者にとって譲渡できない権利であることを認識していた。
そして、彼は神の御言葉の真理がすべて与えられてしまったとは思っていなかった。
彼は何ものも、人間の良心を支配してはならないと宣言し、
神に対する人間の義務を規定することは、越権行為であって、信仰は、非常な混乱に陥るであろうと考えた。
誰も自分の意志に反して、礼拝や教会維持を強制されるべきではない。
人間は誰でも、自分の良心に従って、神を礼拝する自由を持つべきである。
すべての人間は平等に創られ、創造主から、譲渡することのできない権利を授けられていて、
その中には、生命、自由、幸福追求が含まれている。
神に対する義務は人間の法令以上のものであり、人間は良心にまで権力を及ぼすことはてきない。
それは、生まれながらに備わった原則であり、何者によっても根絶され得ないものなのである。
以上
神は、人間が自分の意志で神の愛を受け入れ、神から受けた愛ヘの応答として、
自ら進んで神を愛し従うことをお喜びになります。
神の愛は強制しません、とのEGホワイトの「証の書」の一行を思いました。
マラナ・タ
人間は、神ご自身が、ご自分に似せて、土の塵で手ずからお造りになった存在なのです。
低い空は夏雲が、空高くは秋雲が。きびしい残暑ですが、空は季節が行き交っています。
夜、外出しました。月がきれいでした。
月齢10.8