ごきげんよう!さわこです。

 

 

「神は、あらゆる苦難に際して、私たちを慰めてくださるので、

私たちも神から頂くこの慰めによって、

あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」

                             第2コリント1の4

 

この聖句を、ハレスビーはこのように説明しています。
信仰者であるあなたが多くの苦難に直面することがあります。
その苦難には深い意味があります。

それはあらゆる苦難の中にある人々を慰めることができるようになるためです。

神があらゆる苦難の際に慰めて下さった慰めにまさるものはありません。

苦難を経験し、その中で神の慰めを頂いた人は、予想以上に多くの人を慰めることができます。

 

苦難は、様々な益をもたらします。

人の器を大きくし、人の心の襞を深くし、

多面的な、俯瞰的なものの見方ができるようになり、

苦難のうちにある人への機にかなった助けをすることができます。

 

ハレスビーはこうも書いています。

大きな苦難を経験し、その中で神の豊かな慰めを受けた人は、

すべての苦しむ魂の助けになり、豊かな慰めを与える何かが、

その人から滲み出て来るようになるのです。

 

日本の昔からの格言の中に「苦労は買ってでもせよ」ともあります。

昔の人は、苦労が人を造ることを知っていたのです。

 

しかし、苦労が人をつぶす場合もあります。

いじけさせ、ひがませることだってあります。

 

また、苦労が自慢になる場合もあります。

苦労の少ない人を蔑むようになることもあります。

苦労が、その人にとって神の位置を占めることもあります。

 

逆境の日々に、順境の日々にもまして、神と共に歩むなら、

神の慰めを日々体験していくならば、

苦難のうちに働く神の恵みがその人を造り替え、造り上げてくださるでしょう。

 

苦しむ魂の助けとなり、

ゆたかな慰めを与える何かが、その人柄からにじみ出るのでしょうか。

 

 

 

マラナ・タ

人を天国に相応しい住人に変えてくれるのは、

苦難や苦労よりも、

神の恵みそのものなのです。

神の恵みが福音。

善き訪れ。