ごきげんよう!さわこです。

 

 

O・ハレスビー「みことばの糧」8月7日より 抜粋

 

ルターは、信仰の戦いを戦っているところに、

信仰の命があると言っています。

私たちの日常生活において良心の痛みを覚えるとき、

神の恵みにより信仰の戦いを立派に戦うことを考えているのです。

 

このような緊張関係は信仰が生きている限り存在するもので、

決してなくなることはありません。

 

もし良心が罪を責める機会を与えず、神の恵みにのみ、

より頼むことがなければ、それは死んだ信仰です。

 

この信仰の深みにおける戦いは、

たとえ長い信仰生活を送ったからといってなくなるわけではありません。

神の恵みを信じきる難しさを体験している信仰者はみじめなクリスチャンではありません。

信仰の英雄ルターでさえ、しばしば罪のゆるしを信じきることの難しさを体験しました。

 

私たちの良心がより鋭く、より感受性に富むならば、

より強く私たちを責め、より深く私たちの内面を探ります。

 

神の恵みの豊かで長い経験は、かえって戦いを激しくします。

罪に責められた良心の痛みは、信仰の生みの親であるだけでなく、

クリスチャンが毎日、信仰を生きたものにするために必要な痛みなのです。

 

 

マラナ・タ

信仰の戦いを戦っている人を見て、

神様におまかせしたらよいのに、

自力で頑張っているという人がいます。

そうでしょうか・・・

私はハレスビーを支持します。