ごきげんよう!さわこです。

 

 

夏本番。ひまわり、夏の花。

連日の、この夏一番の暑さ、との報道。

熱中症で亡くなる人がいらっしゃいます。

わたしの子供時代にはこのようなことはなかった。

半世紀以上も昔。

歴史は、終末に向かって加速しています。

 

 

さるすべりも、夏の花。 子供の頃、庭にありました。

幹がつるつるしていて、これじゃあ、木登り上手な猿もすべるな、と

子ども心にも感心した木。

 

 

O・ハレスビーの「みことばの糧」8月1日より、抜粋して紹介します。部分的に表現を変えてあります。

 

神は、あらゆる苦難に際してわたしを慰めてくださるので、

わたしたちも神からいただくこの慰めによって、

あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。

                            第二コリント1:4

 

パウロは、私たちが受ける苦難が、かえって他の人の祝福になる奥義にふれています。

私たちが苦難を受けたので、それによってあらゆる苦難の中にある人々を慰めることができるのです。

 

疑いもなく、パウロは自分自身の深い神秘的な体験について考えています。

コリント第二の手紙11章を見ると、パウロがキリストのために苦しんだ体験について述べております。

それは大変厳しい試練でしたが、その苦難の中で溢れるばかりの慰めを受けたのでした。(使徒言行録16:22-24参照)

 

信仰者であるあなたが多くの困難と苦難に直面することがあるのは、

あなたが、あらゆる苦難の中にある人々をなぐさめることができるようになるためです。

 

たくさんの人が苦しんでおり、慰めを必要としています。

しかし、自分の苦しみを打ち明けられる人は限られています。

 

すべての人が慰めを必要としています。慰めに飢えています。

大きな苦難を経験し、その中で神の豊かな慰めを受けた人には、

すべての苦しむ魂の助けになり、豊かな慰めを与える何かが、

その人柄からにじみでているのです。

 

昨日の夕空

                     今朝の空

       

 

以上、ハレスビーの「みことばの糧」を読みながら、

考えを巡らせました・・・

 

大きな苦難を経験し、その中で神の豊かな慰めを受けた人とは、どなたでしょうか。

それは、人となって、この地上人生を歩まれたイエスです。

 

大きな苦難を経験する人は、そのイエス様の御苦しみおあずかりしてきたのです。

だからこそ、苦しむ人の助けとなり、慰めを与える何かを神様はその人に、

人柄という、言葉では言い表せない、恵みの特質をお与えくださって、

イエス様の香りを、その人を通して、そこはかとなく漂わせてくださるのです。

そういう人には安心して自分の苦しみを打ち明けられるのです。

 

マラナ・タ

そういう信仰の友を持てる人は幸いだと思います。