ごきげんよう!さわこです。
今日も、O・ハレスビー(みことばの糧7月24日)からの紹介です。
多くの信仰の篤い宗教的な人たちがどうして門を入ってゆかないのでしょうか。
それは門が狭いからです。そこで妥協が始まります。
彼らは徹底的に神に従うことは好みません。
神を慕い求めます。宗教的であろうとします。
しかし、自分の日常生活が乱され、この世との関係が乱されるのを好みません。
快適な生活が出来なくなることを拒みます。
神との全面的な和解無しで神の恵みを受けたいのです。
自分の罪を告白し、罪と戦うことなしに、罪の赦しを受けたいのです。
彼らは、広い道を選んで、この世から信用のおける立派なクリスチャンだと言う評判を受けたいのです。
そういう状態の人の祈りは、ひとりごとです。
イエスは今日も「狭い門から入りなさい」と言われます。
滅びに通じる門は広く、その道も広々としていますが、
そこから引き返して「狭い門から入りなさい」と叫んでおられます。