ごきげんよう!さわこです。

 

 

O・ハレスビーの「みことばの糧」を読んでいます。

7月9日のところを抜粋しました。

 

あなたは、祈りの深さと恵みについてほとんどまだ理解していないかもしれません。

(とても残念なことですが、この一文に瞬時反応をして、

「人の祈りにケチをつけるなんて失礼よ!」と言いかねない過敏な人もいるかもしれません。)

 

それでも祈りの御霊に信頼して祈りなさい。

神は、祈りの世界の恵み深さをあなたに示されようとしています。

 

あなたは、祈ることのむずかしさのためにすっかり落胆する場合があります。

それでも祈りの御霊に信頼して祈りなさい。

 

御霊はやってこられて、あなたの弱さを助け、間違いを明らかにし、

より単純に祈れるようにしてくださいます。

 

あなたにとって、祈ることが重荷になり、疲れ感じることがあります。

その時も、祈りの御霊に信頼して、素直に祈ってみましょう。

 

祈りの御霊を注いでくださると言う主の約束があります。

ですから、自分で祈りの霊を奮い立たせたり、祈りの気分をもりたてようとする必要はありません。

 

あなたが、もし間違って祈っていることに気づき、

自己中心的な祈りをしたり、

この世の安楽を求めて祈っていたことが判かって落胆するならば、

その時も、祈りの御霊に信頼して祈りましょう。

 

 

間違って祈っていることに気づくなんて!

それこそ、祈りの御霊の働きだと思います。

自分の祈りに落胆できるなんて、

それも、祈りの御霊の働き!

 

祈りの御霊に頼らず、自分の願いばかり祈る場合もあるかもしれません。

主は、それを拒むことはないでしょう。

家内安全、健康長寿、商売繁盛、合格祈願・・・

どれもこれも、愛する家族の幸せのため・・・

日ごとのパンを求める祈り(日ごとの肉のパンを求める祈り)です。

 

 

主の祈りにも「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」とあるように、

肉に関することを祈ることも、間違いだとは言い切れない。

 

しかし、そこで、止まっていいのか。

それが祈りだと早とちりしてしまっていいのか。

 

 

 

日用のパンの糧だけでなく、

そこから、霊の糧を求める祈りを

祈らないではいられなくさせてくださる祈りの霊が

働かれることを信頼しよう。

それが、神様の御心なのだから。

 

その時主は祈りについて正しい意味を示されるだけでなく、

あなたを引き上げて、神の御前に近づけ、

もう一度、御心に従って祈りはじめるようにしてくださいます。

 

あなたが、祈ることも少なく、感謝したり、神をほめたたえることができなくなることがあります。

その時、やはり、祈りの御霊に信頼して祈りましょう。

 

マラナ・タ

祈りの御霊に導かれて祈る者でありたいと思いました。

自我で祈る祈りから解き放たれますように。