ごきげんよう!さわこです。
聖書通読は、エペソ人への手紙3章です。
ここにもキリスト教の奥義が書かれています。
5節
この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、
今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。
ここを私は、以下のように理解します。
人類の救済計画、それを神の奥義、と呼んでいます。
三位一体の中のおひとりである御子なる神様が、
地上にお降りになって、すべての人類の罪を背負われて十字架にお架かりくださった。
そして、そのことを「我がためなり」と信じた者は、罪が赦されて神との関係が修復されて救われる。
そういう教えが、旧約聖書では、律法、聖所(幕屋・神殿)での犠牲のいけにえの儀式、
祭事(過越しの祭り・七週の祭り・仮庵の祭りなど)によって表わされてきました。
儀式や祭事という日々の行事、年間行事によって、象徴的に教えられてきたのです。
ですから、その意味が次第に曖昧になって、儀式として習慣化形骸化されてしまうこともありました。
周辺の国々や、アッシリヤ帝国、バビロン帝国といった大きな軍事帝国に攻められることによって、
イスラエル王国もユダ王国も、滅ぼされて行くのですが、真実のヤハウエの神(聖書の唯一の神)を忘れず
神の御教え(十戒をもとにする律法)を守り行うならば、決して滅ぼされることはない、とのお約束がありました。
神の御教えを忘れないように、神様は、儀式や祭事をお与えになられたのですが、
それが形骸化すると、形式ばかり守り内実が伴わなくなってくる。
形式さえもいいかげんになり近隣諸国の偶像礼拝を取り入れるようになってくる。
儀式・祭事・律法は、すべて神ご自身が救ってくださるというキリストの象徴であります。
この教えをはアブラハム―イサク―ヤコブへと受け継がれました。
ヤコブの息子たちヨセフの時代にエジプトに移住・・・400年後エジプト脱出
モーセ(シナイ山で十戒を神から受ける)ヨシュア 40年後にカナンの地に定住
アブラハム、イサク、ヤコブの神と言われていた創造と贖いの神への信仰は
エジプトの400年でイスラエル人には曖昧になりましたが、
エジプト脱出の時の、小羊の血を鴨居と柱に塗ることによって、神の贖いが象徴的にあらわされました。
それが「主の過越し」でありペサハ過越しの祭りとなり、この月を正月とするようにと神様はモーセに言われました。
ペサハから50日目に、シナイ山で十戒を神様から受けます。
これを記念して、シャブオット(七週の祭り・五旬祭)を記念します。後にギリシャ語でペンテコステと呼ぶようになります。
イエス様の十字架刑は、過越しの祭りにあたりました。
その日から50日目に聖霊が豊かに降ったのです。
イエス様はじゅうじかのしから三日目に復活なさり、40日間、弟子たちや多くの人々に復活されたお姿でお会いになります。
そして、昇天なさいました。それは弟子たちだけでなくたくさんの人々が目撃したのです。
天にあげられたイエス様は父なる神様に、人類救済の贖いの業を為されたことを、喜んでいただくのです。
それが、聖霊がこの地上に豊かに降る、聖霊降臨があったのが、シャブオット(七週の祭り・五旬祭)ギリシャ語でペンテコステ。
神様の人類救済計画がなされたことを、豊かに降った聖霊に押し出されて、弟子たちはこの喜ばしい知らせ(福音)を伝えていくことになりうのです。
ペンテコステの日から、弟子たちの福音宣教の働きが開始されます。
教会組織の誕生です。
使徒言行録(使徒行伝)は、聖霊の働きによって弟子たちが福音をどんどん伝えていき、教会が建ちあげられて行く様子が書かれています。使徒言行録に続くローマ人への手紙からの書簡類は立ち上がったばかりの教会に宛てて書かれています。
ずいぶん長々書いてしまいましたが、イエス様の十字架、復活、昇天、聖霊降臨からあとは、
十字架以前の、神殿儀式も、イエス様の十字架を象徴する動物のいけにえの儀式も、行う必要はなくなったのです。
神殿で行われていた予型としての儀式は、十字架によって成就されたからです。
旧約時代までは、儀式や祭りによって、人々に知らされていたことが、
予型が本体(イエス様の十字架)と合致したのですから、
儀式や祭事によらず、贖いの計画を聖霊が、信じる人びとに働きかけてくださって、知らされて行く。
それをパウロは、
今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。
と書いています。
神様の救済計画はイスラエル人(ユダヤ人)によって伝えるように、神様はなさいましたが、
今は、聖霊が働かれて、神のこの計画を信じる人びとを通して伝えることになったのです。
もはや、ユダヤ人だけでなく、異邦人であっても、人種は関係ないのです。
神の救済計画の対象者は、ユダヤ人だけでなく全世界の人類なのです。
パウロは、そのことを6節に書いています。
「それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、共に同じ体に連なって、共に約束にあずかる者になるということです。」
このことを、伝えるためには命がけでした。
同胞であるユダヤ人からの迫害もあれば、ローマ人からの迫害もありました。
「また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現がどのようなものなのかを、
すべての人に明らかにするため」(9節)に
「主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠の神の御計画」(11節)を、
パウロは「福音に仕える者」(7節)となったと言っています。
そしてパウロは苦難も恐れないのです。
「ですから、私があなたがたのために苦難にあっていることで、
落胆することのないようにお願いします。
私が受けている苦難は、あなた方の栄光なのです。」(19節)
そして、この福音宣教の働きが御霊(聖霊)によるとパウロ書いています。
「どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、うちなる人に働く御霊により、
力をもってあなたがたを強めてくださいますように」(16節)
神の救済計画(神の創造と贖い)
「信仰によって、あなたがたの心のうちに
キリストを住まわせてくださいますように。
そして愛に根差し、愛に基礎をおいているあなたがたが」(17節)・・・
「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。
そのようにして、神の満ち溢れるゆたかさにまで、
あなたがたが満たされますように。(19節)
イエス様がお約束なさった助け主である聖霊が、神様の救済計画を知らせてくださり、
信じる者の心のうちにお住まいになってくださり、信じるものたちを強めてくださり、
神の豊かな愛を土台として信じる者たちは存在しているのだと、パウロは語るのです。
マラナ・タ
聖霊の導きによって、私たちはキリストへの道を歩むことができるのです。
ですから、イエス様は聖霊に逆らうことは赦されないと仰いました。(マタイ12:31-32)