ごきげんよう!さわこです。
雨が続きました。
聖書通読新約は、今日からエペソ人への手紙です。
今回の聖書通読で、ローマ書、コロサイ書でも特に思ったのは、
パウロが旧約聖書(イエスの言葉で言えば律法と預言者)を
理論立て系統立て神学書、教理書として集成しているということです。
ベニアミン族のファリサイ派ユダヤ人として、
聖書(旧約聖書)に徹底的に精通した聖書学者であるパウロは、
ダマスコへの道で復活のイエスに出会い、
モーセ五書に記されていることは、イエスご自身のすべてであると悟ったのです。
新生したパウロは、以降、並外れた熱心な宣教者として、伝道者として、
死をも迫害をも恐れない者となり、福音を伝え小アジアに教会を次々設立して行きます。
イエスのあらわした本来の聖書の教え「この道」を信じる群れとして新生したばかりの教会においては、
ユダヤ教やギリシャ思想を持ち込む人たちがいて混乱していたのです。
パウロの手紙が、正しいこの道(キリスト教)の教えを、理路整然として分かりやすく書いているはずです。
エペソ1章もキリストの教えがなんとわかりやすく書かれていることでしょうか!!!
4節 すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方(イエス・キリスト)にあって私たちを選び、
御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。
ここから、創世記1章の天地創造の場面を「世界の基が据えられる」とパウロは書いています。
据えられる前から・・・この「前」という一字から、天上での三位一体の神様が
地球を含む宇宙を創造されている天の会議が読み取れます。
そして、後にサタンとなった天使の長ルシファーが、自分がその仲間に入れなかったことで不満を持つようになるのです。
ルシファーがいかに美しく賢くあっても、神に造られた被造物なのです。
神ではないのですから、天地創造を神と共に造るメンバーには入れない。
そして、ルシファーは自分にはその資格があるという不遜な考えを持ち、神に嫉妬し、神以上になろうとしたのでした。
その時点でルシファーは「罪」をもつ「悪」なる存在となってしまいました。
神さま手ずから造られた、最初の人間、アダムとエバにサタンは狙いを定めました。
サタンは天で三分の一の天使を自分の味方につけました。
サタンと共に堕天使たちは、天から追放されて地上に落ちてきたのです。
(ここは、イザヤ14章12-15節、エゼキエル28章1-19節に書かれています。)
天地創造の前の出来事が、旧約聖書のイザヤ書とエゼキエル書に記されています。
神様は、最初の人間アダムとエバが、神様の戒めを破った場合のことも想定して、救いの道を備えておられました。
神の戒めを破ることは、自動的に神から離れてしまうということです。
アダムとエバの子孫たちもは罪の遺伝子、罪の傾向を持って生まれてきました。
しかし、子孫たちは、アダムの悲しい失敗を聞いて育ちました。
そのアダムは、エデンの園を追放はされましたが、神に見捨てられたわけではないこと。
神の元に立ち帰る道があること。それをも神様から教えられていました。
神様の救いの方法を、人は信じることも信じないことも、自分の意志で選択できました。
神様の救いの方法を信じるものは、神の豊かな恵みにより、背きの罪の赦しを受けることができました。
7節 このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。
これは神の豊かな恵みによることです。
家庭菜園のピーマンの花 ピーマンに小さな実が付きました。
9節 みこころの奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねに従い、
10節 時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、
キリストにあって、一つに集められることです。
ここにも、人類救済計画が書かれています。
神の国の奥義、神の御心の奥義とは、9節10節にかかれている通りです。
11節 また、キリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました・・・
神様のこの救済方法を信じ受け入れることは、人間の知恵ではできません。
三位一体の聖霊の神様によって信じるとき、神様との関係が修復されて、神の御国の住人となれるのです。
わんこの散歩に出ました。夕方五時が近いのに、朝、雨が上がり温度も急上昇。
朝の重い雲は払われて、青空は広がり、白雲が浮かんでいます。
14節 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。
このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。
この御言葉の通り、聖霊様を受けることは、御国を受け継ぐ保障。
わんこも好きな、パンプディング。 熱々も、いいけれど、冷蔵庫で冷やした翌日のも美味しい。
マラナ・タ
神の国の奥義とは、神様の人類の救済計画。