ごきげんよう! さわこです。

 

 

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、
すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。ローマ8の28
 
多くの人を励まして来た聖句です。
ともすれば、「すべてのことが・・・以下」だけが一人歩きして、
軽率な励ましを与える可能性の無きにしもあらず。
 
神を愛さなくても、信じなくても、真面目に正直にさえ生きていれば、
人生万事、相い働いて、丸く収まるんだよ、今の苦労は一時の事さ。
ほら、聖書とやらにも、そう書いてあるさ、と引用して励ましてくれてさえうれしい。
 
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのため」
という条件付きの言葉だと理解したなら、軽々しく語れるだろうか。
 
人間の側がどうであれ、神の愛は無条件、神の救いも無条件。神は愛だから。
そう思って、聖書を読んで行くと、あて外れの御言葉に遭遇します。
 
さらに、すべてのことが益になるとは、この世の暮らしが、上手く行く。
家内安全、病気治癒、結婚、受験、就職、経済、エトセトラ。
完璧でなくても、高望みをしなければ、普通であれば、平凡であれば。
足るを知るようになることが、信じる者は救われる、ということでしょうか。
 
クリスチャンになれば平々凡々、順風満帆な人生が保障されるのでしょうか。
決してそうではないことに、気づくようになってくる。
キリスト教は、いわゆるこの世的御利益宗教ではないことに、どこかで、直面する時も来る。
 
 
その時、それでも、聖書の神を信じるか、と神は問いかけられる時が来る。
その時、バビロン帝国に連れて行かれたユダの国のダニエルたちのように、言える者でいたい。
 
ダニエル書3の18
しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。
私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。
 
マラナ・タ
はい。たとえそうでなくても、聖書の神、キリストなる神を信じます。