ごきげんよう!さわこです。

散歩道、うすむらさきの花が咲いていました。

 

 

今朝のデボーションです。

その1

聖書通読ローマ6章から

「キリストにつくバプテスマを受けた私たちはみな、

その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか・・・

新しいのちに歩むためです・・・

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは・・・

もはや罪の奴隷でなくなるためです。

キリストと共に死んだなら、キリストと共に生きることにもなる・・・

罪があなたを支配することはない。」

 

   この花の名前は何でしょう?

ローマ6の23 

ローマ書6章の終わりの言葉です。

「罪の報酬は死です。

しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」

 

以前はこの死を、死なない人間はいないから、人は皆罪びとだと理解していました。

しかし、今ではこの死は、第二の死、永遠の死、永遠の滅び。であると理解が進みました。

 

ヨハネの黙示録2章11節より

「耳ある者は、”霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。

勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない。」

 

第二の死があるということは第一の死があるはずです。

第一の死は、いずれみんなが死ななくてはならない。

誰も避けることのできない肉体の死です。

第二の死は再び殺されること。

つまり、神の裁きを受けたあと、罪の結果としてもう一度死なされてしまう、ということです。


福音書の時代にも、第一の死を経験した者たちが、

裁きのために一度復活させられるという考えが表されていますが、

黙示録にもリアルに描かれています。
ですから、聖書の言葉を一部だけ取り出して、

自分の体験、思想、知識だけを基準に読むなら、誤読曲解は免れません。

聖書全体から読まなくては。


ヒューマニズムや人道主義者は、「いのちの尊さ」を訴えますが、

そのいのちとは、第一の死に対してでしょうか。

第二の死にまで考慮している思想でしょうか。

 

ここは重要なポイントだと思います。

 

   グラジオラスが咲きました。

   背景の紫陽花とのコントラスト、気にいっています。

 

今朝のデボーション その2

今日の光6月13日より

もし心から神に献身しているなら、神は最も弱い人間をも用いてくださる。

誰もが真理を理解し、善なることのために影響力を働かせることがてきます。

失敗を犯すかもしれない。成功をもって報いられるとは限らない。

しかし、人のために働くことによって経験を積むことができ、

私たち自身の魂は神の愛に満たされます。

 

 

マラナ・タ

今朝は、死には、二種類あることを再確認した今朝のデボーション。