ごきげんよう!さわこです。
シャクナゲの季節が来ました。
9、不可解な苦痛に直面する時、その痛みは自己憐憫を引き起こします。
自己憐憫はひとりよがりのパターンのひとつ。神様を責めたい気分になります。
しかし、人生の試練は、神が許されたものであろうと、神から来たものであろうと、
成長と精錬の手段となりうることを覚えようではありませんか。
試練に直面する時、「私は何を学び、どのように成長できるだろうか」と神に尋ねようではありませんか。
神は、私たちが尋ねるのを待っておられます。
大手毬も日ごとに花が大きくなって行きます。
10、私たちの限りある経験をもとにして、人生一般に関する結論に走ってはなりません。
自分はすべてを知っているわけではないのです。
11、理不尽なことに巻き込まれたら
「誰がこんなことをしたのか。どのようにしてここから脱出できるだろうか」という質問も出てくることでしょう。
その答えはシンプルだが、信仰の世界からしか出せない答えです。
聖書に書かれている答えです。
「神が完全に造られたこの世界に、サタンが侵入して罪を持ち込んだのです。
誰がこんなことをしたのか、と聞かれたら、サタンです」と私は答えます。
「どのようにして脱出できるか」と聞かれたら、「脱出の道はイエス・キリストです」と私は答えます。
マラナ・タ
「サタンが出て来るなんて!まあ、意味不明なだましごとにしか聞こえません」
という人もいるでしょう。でも、真実を知りたいと思いませんか。
じっくり聖書を学べば納得のいく答えに行きつくと自信を持って私は言えます。
安息日ごとの礼拝におあずかりすることも、最良の方法です。