ごきげんよう!さわこです。
この花を知っていますか?アップで写してみました。
あちこちに、群れて咲いています。
繁殖力がとても強い外来種の野草の一つ。
名前は、ヒメツルソバ。
さて、
今年、2019年の今日3月29日は旧約エゼキエル書40章が通読箇所ですが、
昨年3月28,29日はマラキ書でした。
昨年は4年ぶりに新改訳・バイブルナビを用いました。
マラキ書について、このような注釈がありました。
・マラキ書は、旧約聖書と新約聖書を繋ぐ架け橋である。
・マラキ書を読む時には、神の民への神の言葉を受け取る者であると自分自身をみなそう。
・あなたの献身の深さ、礼拝への誠意、人生の方向について吟味し、神から愛の赦しを通して、
神とあなたの関係を神に回復して頂こう。
・最も大きな悲劇は神との関係が壊れることである。
マラキ4:2(新共同訳では3:20)
「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、
義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。」
この聖句についての脚注に希望と平安を頂きました。
「今の生活がどのような状態であったとしても、
神が将来を支配しておられるから、全ては大丈夫である。
神を愛し、神に仕えて来た私たちは、
喜びに満ちた祝いを楽しみにすることができる。
このような将来への希望が、人生を神にゆだねる時、
私たちのものとなるのだ。」
主の御名を恐れるとは、神を愛し、神に仕えることだ、とわかります。
ある日の子どもの安息日学校分級のクラスで
「主の使いはその周りに陣を敷き、主を畏れる人を守り助けてくださった」詩編34:8
を、暗誦していた子どもたちに〈小学4年、5年〉
「主のみ名を恐れるってどういうことだと思う?」と質問したことがありました。
「神様を信じること」と5年生の桃ちゃん。
「そうね。でも、サタンになったルシファーも神を信じていたね。
モーセやアブラハムたちの神を信じることと、ルシファーの信じることは同じ?」
「ううん、違うよ。モーセやノアやアブラハムは、心から神様を信じていたけど、
ルシファーは・・・神様を知っていただけだった・・・」
「そうね。モーセたちは神様に従った。ルシファーは神様に逆らった。そこが違うね。
神様を信じて、そして神様に従うことが、大事なのね。」
「今、桃ちゃんは、神を畏れる人たちの名前を、聖書の中からあげてくれたけれど、
今の時代にも神を畏れる人はいるかしら。」
「安息日に教会に集まる人たち、みんな神様を畏れる人だ!」
次に、四年生の木の実ちゃんにも聞いてみました。
「神様を信じ愛すること」
「完璧な答えだ!すばらしい!」と、思わず、桃ちゃんと私は拍手をしました。
「詩編34:8には、神様の使いである天使たちは、
神様を愛し信じ従う人たちの周りを取り囲んで、
悪い者や悪いことから守ってくださるというお約束が書かれているのよ」
と話しました。
4年生と5年生の二人の少女が「主を畏れること」について
しっかりと理解できていることに驚きました。
子どもの聖書のクラスを持たせていただくことは、
私の信仰を養って頂けます。
神様への感謝と讃美が湧いてきます。
マラナ・タ
箴言を次々に思い出します。
主を畏れることは知恵の初め 1:7
主を畏れることは命の源 14:27
主を畏れることは諭しと知恵 15:33