ごきげんよう!さわこです。
今、そうだ!!! そういう意味ではなかったか!!! と思った聖句。
ヤコブがヤボクの渡しで、何者かと格闘し
「私を祝福してくださるまではあなたを放しません」 創世記32章23~32節
と言いました。
この祝福とは、
イスラエルを通して神様が与えておられる福音の真の意味を分からせてもらうまでは、というこではなかったか。
そうだ !!! そういう意味ではなかったか !!!
私たちは、祝福の意味を人間の俗的な意味で考えてしまう習性があります。
健康、経済、才能、チャンス、良き配偶者、良き家庭。それらに恵まれて、それを用いて神様にお仕えできる信仰生活が与えられますように。
そんな思いで、祝福を捉えているかも知れない。
あるいは、信仰や世のお付き合いのリップサービス的常套句として便利に使っているかも知れない。
祝福とは、神を正しく知ること、愛すること、主に従うこと。
讃美歌「日々の祈り」に歌われていることそのものだ !
と分からせてもらった瞬間 !
しかし、それだけではない。
聖書の真理をもっと、聖句に忠実に、
預言書として聖書の真理を知ること、それが祝福。
それを、御霊によってしっかり理解させていただき、
伝えることができる者とならせて頂くこと、それが祝福。
その場所は、なんと浴室、洗面所。
きわめて、日常的な場所。
お礼拝の時でも、祈祷会の時でもなく、
毎朝のデボーションの時でもなく。
賀川豊彦さんの言われる浴場、つまり浴室・洗面所。