ごきげんよう!さわこです。
ある冊子を読んでいたら、賀川豊彦の言葉に出会いました。
「神に生き、神に動き、神にありて存在する特権を持つ我々は、
目がさめて、床につくまで、祈りの連続であり得る。
祈祷会に行った時だけ祈りをするのではなく、
四辻に、停留所に、浴場に、台所に、神の至聖所が開かれている。」
アーメンと思いながら読みました。
しかし、「神の至聖所が開かれている」の一文に戸惑いました。
「四辻、停留所、浴室、台所、至る所が私たちの祈祷の場となるのです」でよいのではないだろうか。
私たちはキリストにあって、祈りの特権を頂いている。
そのことを「神の至聖所が開かれている」と書いているのだろうか・・・・
イエス・キリストを信じ従う者は、神の至聖所に入る資格があるということだろうか・・・・
至聖所に入っておられるのはイエス様ではないのでしょうか。
大祭司としての最終的働きをなさるために、
1844年10月22日に、イエス様は天の聖所から至聖所にお移りになられました。
私は混乱してしまいました。
「このことについて、神様、答えをお示しください」と祈りました。
この祈りは、速やかにお答えいただきました。
ある方から、E・G ホワイト「初代文集」から、引用して教えて頂きました。
わたしは、第3の天使が、上の方を指さして、失望した人々に、天の聖所の至聖所への道を示しているのを見た。
信仰によって彼らが至聖所に入る時に、彼らはイエスを見出して、新たな希望と喜びを味わうのである。
わたしは、残りの民が、イエスに従って至聖所に入り、箱と贖罪所を見て、その栄光に魅了されているのを示された。(EW415)
しかし、第3の天使は、彼らを至聖所に導いた。
そして、過去のメッセージの経験を経た人々も、彼らを天の聖所へと指さしていた。
多くの人々は、天使たちのメッセージの中に、完全な真理の連鎖を見、喜んでその順序に従って受け入れて、
信仰によってイエスに従い、天の聖所に入ったのである。 (EW417)
マラナ・タ
なかなか難しい・・・ご聖霊の助けを祈りながら、繰り返し読まなければなりません。
初代文集は、2016年7月から2018年7月まで、二年間かけて、祈祷会で輪読していたのですが・・・