ごきげんよう!さわこです。
わんこと朝の散歩に行きました。
今朝は曇り空。
散歩道で北山を見上げました。
今朝の学び、安息日聖書研究ガイドから。
黙示録10章9節 「それを取って食べてしまいなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い」
ダニエル書の預言を基にキリストが1844年に戻られるとミラーの信奉者たちが考えた時、メーセージは甘いものでした。
しかし、キリストが来られなかった時、苦い失望を味わいました。
ここから、私のデボーションは広がりました。
「あなたの話は、広がっていくから、聞く人は混乱するのですよ。
テーマから外れないように!」 と、忠告をされます。(笑)
しかし、いつまで経っても学習できない私です。
おかまいない人は、お付き合いください・・・
期待が大きければ大きいほど失望した人々も多かったことでしょう。
黙示録10:9は、その苦い失望の預言でありました。
1844年10月22日、キリストは来られませんでした・・・
失望のあまり、キリスト教を信じることを止めなくても、再臨の希望への関心が冷めていった人たちもいたことでしょう。
しかし、失望に留まらなかった人たちもいたのです。
再臨へのより明瞭な理解を求めて聖書を探り始めた人たちもいました。
そして、十戒の第4条「安息日を覚えてこれを聖とせよ」に射している光を見たのです。
礼拝日は、日曜日。イエス様の復活された記念日として、何ら疑うことなく、日曜日に礼拝をしていました。
安息日に礼拝をするのはユダヤ教だ。
イエス様をメシヤとして受け入れることを拒んだユダヤ教の礼拝日に過ぎないと、
いつからか、刷り込まれてしまった信者たち。
死んだ人間が復活した!
ナザレのイエスは、やはり、旧約聖書に預言されていたメシヤだった神の子キリストだった!
その強烈な感動と悦びを、あふれる喜び、歓喜を抱いて、2000年近く日曜日に礼拝してきたのです。
ルターたちの宗教改革においても、真実の神への忠誠のしるしである礼拝は日曜日のままに据え置かれました。
聖書に忠実に従って土曜安息日を守って来たワルド派の人々は宗教改革に先立つ昔から迫害を受けていました。
1844年の大失望の中で、小さな真理の光を受け、失望を希望に繋いでいったグループから
安息日遵守再臨信徒、セブンスデーアドベンチストが生まれたのです。
朝の散歩道で鳩や鴨の小さな群れに出会います。
初めは小さな群れでした・・・
今では世界に、85112の教会を持ち、信徒数は20343914人。
2000万人を超えました。
日本では、教会数は97。集会所は48。聖書研究会は36。
併せて181か所で安息日礼拝は守られています。
教会員数は15273人。
100万人の日本人クリスチャンの中でSDAの信者数は、1.5%。
私は文書伝道者から、預言の声聖書通信講座を勧められたことがきっかけでした。
1896年(明治28年)
大学学長職を辞して来日したW・C・グレンジャー先生と
アメリカに留学していた大河平輝彦青年によって、
日本宣教が開始されました。
セブンスデーアドベンチスト(略SDA)キリスト教会が日本での宣教を始めて
今年2019年で123年になります。
日本では、以下のような伝道活動によって今に至っています。
医療伝道、(東京衛生病院・神戸アドベンチスト病院・沖縄メディカルセンター
食品伝道、(三育フーズ)、
教育伝道、(幼稚園、小学、中学、高校、大学、神学校、三育学院と言う名称))
文書伝道、(出版社、福音社)
戦時中は牧師・宣教師・伝道師、一部の信徒たちは監獄に入れられました。
くちなしの実が膨らんでいます。
私は、大雨の日や荷物が多い時、体調が芳しく無い時、タクシーに乗って教会に行きます。
時々、運転手さんに、「キリスト教会さんは日曜日に礼拝するんじゃないの?」
と聞かれますが、「待ってました!チャンス到来」 と、ばかりに
「神様は天地万物を6日間で創造されて、第7日目を聖なる日として礼拝するように仰ったことが
聖書の初めに書かれているんですよ。
日曜日は第一の日ですから、第7日目は土曜日に当たるのね」
と、答えます。
人によっては、「どうして日曜日が第一の日だと分かるのかね?」
と聞かれます。その時には、
「聖書は、そもそもユダヤ人に与えられたものですから、
ユダヤ教の聖書の専門家たちが聖書研究をした結果、
第7の日は土曜日に当たるのだと見つけたのですよ。
だから、ユダヤ人は大昔から今に至るまで、土曜日を安息日として礼拝日として守って来てるんですよ」
(ヘブル人とか、イスラエル人とか、言っていると、ややこしくなるので、端折ります。)
マラナ・タ
私の属する教会の名前は、セブンスデー・アドベンチスト。
第七日安息日を礼拝日として守り、キリストの再臨を待ち望む人々の群れ。