ごきげんよう!さわこです。

 

遠藤周作「銃と十字架」より抜粋

32-33ページ

1582年(天正10年)の2月20日、4人の有馬神学校の生徒はそれぞれ各領主の名代という名を与えられ、ヴァリニャーノ巡察師につれられて長崎の大波戸から船に乗り込んだ。

・・・善きヨーロッパのみを見せようというヴァリニャーノの指令にもかかわらず、少年たちが旅の途上、植民地にされたアジア人の土地や町、白人に虐待される黄色人のあまりにみじめな姿を目撃しなかったはずはない。

彼らは、一方では神の栄光を感じながら、他方では基督教徒を標榜する者の悪と罪とをこの旅で見てしまったのだ。

少年たちの1人、千々石ミゲルが帰国後、棄教して切支丹宗門は

「表に後世菩提の理を解くといえども、実は国を奪うなり」

と主張した理由の一つには、彼のかつて欧州に赴くまでの体験と目撃から出た気持ちが働いたのかもしれぬ。

そしてこの問題は後々まで有馬神学校の卒業生が避けて通れぬ重荷になるのである。

 

38-39ページ

少年使節たちはアフリカの南端、喜望峰を迂回して1584年(天正12年)の7月ついに目指すリスボアに到着した。

・・・生まれて初めて見る西洋。すべてが今日の我々に想像もつかぬほど強烈な衝撃を少年たちに与える。

・・・すべての夢のようなこれらの出来事は4人の少年たちの心に感激と悦びと興奮を起こさせたのはまちがいない。

・・・彼らの感動、驚愕、そして選ばれてこの欧州に来たという誇りの背後に、どれほどこの少年たちがなれぬ生活に耐え、人々の善意と称するものを重荷に感じ、肉体的精神的な苦痛や淋しさにいじらしいほど頑張ったかも察してやらねばならぬ。

この旅行は少年たちにとって線上に赴くのと同じくらい必死だったのだ。

そして彼らはその必死な体験の中で西欧を目撃したのである。

基督教の過ちではなく、基督教徒と称する人々の悪しき面をその善き面と共に旅の途上で目撃したはずである。

 

(つまり2年5カ月の船旅であった)

 

40ページ

・・・ヨーロッパ第一主義と独善的な中華思想とを否定することはできまい。

だが少年たちは・・・同じ黄色の人種の人々が基督教国によって蹂躙され征服されていった後を旅の途上、次々と目撃したのである。

少年たちがそれをどのように感じたか・・・帰国後の少年たちの運命がそれを暗示してくれる。・

・・伊藤マンショ、中浦ジュリアン、原マルチニョは聖職者として神に身をささげた。

だが、千々石(ちぢわ)ミゲルは一度は有馬神学校に復学したものの、まもなく基督教を棄てている。

棄教の動機や真理は軽々しく断定はできないが、私(遠藤周作)には、少年使節として長い旅の間、彼が見たことが働いているような気がしてならぬのだ。

もし、そうならば、ヴァリニャーノの善意はこの千々石ミゲルには皮肉にもかえって逆の結果を招くに至ったのである。

 

42ページ

この時代の権力者、信長、秀吉、家康を一番苦しめたのは、戦国武将ではなく、信仰を中心として結集した一向門徒の一揆だった。一向一揆の思い出は秀吉にとって切支丹に重なりあっていた。

 

56ぺージ

「日本の国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を受けているので制服が可能な国ではない」

(ヴァリニャーノ書簡・・・宣教師の日本占領計画については長い間かくされていたが高瀬弘一郎氏の研究に負うところが多い)

 

87ページ

誰にも自分の人生が突如としてかわるきっかけも、その時期もわかるはずはない。

神のひそかな意志がどのようにひそかに働くのか人の目には見えぬからである。

 

 

88ページ

1610年には基督教徒信徒数は70万にものぼったと言われる。

布教を利用した南蛮諸国の日本侵略への恐怖を秀吉も家康も持っていた。

1610年、家康は禁教令を発布、教会の破壊、信徒の逮捕と棄教の強制を開始。

棄教をしない者には拷問と威嚇が次々と加えられた。

外人宣教師と高山右近、内藤壽庵のような有力な切支丹節は追放令を受けた。

 

90ページ

追放令が出された後、宣教師と有力信徒はマカオに行かされる組とマニラに行かされる組とに分けられ国外退去された。

ペドロ岐部はマカオ行きの船に乗せられた。しかし、迫害下の日本に潜伏しなおも布教を続けようとしたグループもいた。

 

91ページ

ペドロ岐部が日本に潜伏するグループに加わらなかった心理は私(遠藤周作)には興味がある。

彼はマカオに行けば司祭になれる勉強が続けられると思ったのだ。

「主よ、私が彼らを一時、見捨てることをお許しください。司祭になりたいのは個人的な野心のためではなく、彼らのためなのです。私はふたたびこの日本に必ず戻ってまいります」

この帰国の誓いがなければ、彼はおそらく、マカオに去ることに心の苛立ちを感じたに違いないのだ。

 

 

続く