ごきげんよう!さわこです。
聖句の日めくりカレンダー 11月30日
「それは、あなた方の信仰が、
人間の知恵によらず、
神の力によるものとなるためだったのです。」
コリント第一 2章5節
信仰を選び取る、という表現があります。
キリスト教、イスラム教、仏教、この三つが三大宗教と呼ばれるでしょうか。
他にも、ヒンズー教、神道、各国々の土着の宗教があります。
新興宗教と呼ばれる宗教もあります。
一つの宗教の中にも、宗派が分かれています。
宗教とは呼ばれていなくても、スピリチュアル系の霊的な世界もあります。
そのうちの一つに絞るわけですから、
必然的に選び取ると言う表現にならざるを得ないことになります。
日本人の多くは、神仏混合した日本教(イザヤ・ベンダサンさんの表現)
に、さほどの違和感なく溶け込んでいるのではないかと思います。
宗教と言っても日本文化そのものかもしれません。
その中で、何か自分の心が満たされないものがあって、
もっと深みを知りたい、もっと高みを求めたい、
そういう思いが、日本教では満たされなくなって、ひとつの宗教を求めるようになるのでしょうか。
私は、キリスト教への反発から、聖書も読まずにキリスト教を嫌うのはどうだろうか、との心の声を聞き、
その直後に、セブンスデーアドベンチスト教会の文書伝道者の訪問があり、
「聖書を売っていませんか?」と訊ねたことがきっかけで、「預言の声・聖書通信講座」を学ぶようになったのでした。
そして数か月かけて通信講座を学び、終わりが近づいたとき、聖書の言葉(コリント第一10:13)によって、
生ける神キリストに出会うという体験をしてしまいました。
通信講座を終えるとともに、セブンスデー・アドベンチスト教会の場所を地図で調べて訪問したのが11月の半ば。
翌年、1月から安息日礼拝に毎週出席し、10ヶ月後に水によるバプテスマに与って、28年が過ぎました。
数ある宗教の中から、キリスト教を選び取ったという自覚はなく、
数あるキリスト教会の中から、セブンスデーアドベンチスト教会を選び取ったという自覚もなく、
ただただ、強烈な神の力に引きずられたという感覚しかありませんでした。
その教会は、
聖書研究をするためのあらゆる通信講座がそろっており、
しかも、数年ごとにあらたな通信講座が出されていました。
その都度、通信講座を学び続ける私でした。
聖書だけでは、理解の難しい所は実に多くて、
エレン・G・ホワイトさんの証しの書(あかしのふみ)と呼ばれている著作集が引用されました。
私は、その他のプロテスタント系やカトリック系の解説書も読みました。
理解に役立つところもかなりありましたが、
マルキシズムやヒューマニズム、フェニミズムの影響を感じる解説だなあと思う箇所もありました。
つまり時代の文化の影響と言いますか、永遠の至高者である神様を、
各時代の人間の思想で解釈しているように感じました。
「私の書物は聖書を照らす小さな光です。もし、聖書と異なることが書かれていたら、聖書の方を信じてください。」
とホワイトさんは書いておられました。
ウィキペディアによると・・・
エレン・グールド・ホワイトは、
アメリカ合衆国のセブンスデー・アドベンチスト教会の創立において指導者として活躍し、
「預言者」と呼ばれていた人物。
生涯で見た幻の内容は文書として残され、セブンスデー・アドベンチスト教会にとって
聖書に次いで重要な文章と受け止められている。
1827年11月26日ー1915年7月16日。配偶者、ジェームズ・ホワイト(1846年 - 1881年)
私の持っている歴史年表でと照合してみました。
エレン・ホワイトさんは、1827年生まれましたが、
その頃、日本では、
1825年に「外国船打払令」が定められている江戸時代の終わり、幕末の頃。
1915年と言えば、前年1914年に第一次世界大戦が始まっています。大正時代です。
その頃、ヨーロッパでは、
1804年 ナポレオン皇帝となる。
1806年 神聖ローマ帝国消滅。
1814年 ナポレオンの退位。
1840年 アヘン戦争
1848年 マルクス「共産党宣言」を著す。
1861年 米、南北戦争(~65年)、奴隷解放宣言(63年)
1869年 スエズ運河開通、大陸横断鉄道開設。
1905年 シベリア鉄道開通。
1911年 辛亥革命により、清→中華民国
1914年 第一次世界大戦(~18)
1915年 アインシュタイン、一般相対性理論発表
ざっと時代背景に目を通しておきたくなるのは、私の習癖です(笑)
セブンスデーアドベンチスト教会が預言者であると認識しているエレンホワイトさん。
そのホワイトさんが、どういう時代に生まれ生きられたか。
その頃、日本はどのような時代であったか。
世界は、何が起きていたか。
セブンスデーアドベンチスト教会に導かれて行った私は、
ホワイトさんの著作集から、信仰理解を助けてもらい養ってもらっているのです。
そういう背景の中にある私でありますが、
コリント第一 2章5節の聖句は、非常に理解できます。
「それは、あなた方の信仰が、
人間の知恵によらず、
神の力によるものとなるためだったのです。」
マラナ・タ
私がキリスト信仰を持つことができたのは、
人間の知恵ではなく、神の知恵によるものに他ならなかったとの
確信を強くしています。