少しずつ、夕べの雲が迫りはじめています。
わんこよ、今日は月齢8.0 上弦の月だよ。
帰り道、可憐な白薔薇が咲いていました。
ご近所のローズマリー、薄紫の小さな花がついていました。
教会のローズマリーも花が咲いたかしら。
明日は祈祷会の日。ローズマリーにご挨拶しよう。
夕食も終わって、
「そうだ!わんこよ、お月見しようよ」
ほら、きれい。
私のスマホでは、半月に写りません。
月のきらめきで、ラグビーボールみたい。
信仰の友から、電話が入りました。
あるクリスチャンが、
私は生きているが死んでいる・・・
とつぶやかれたことが気になって気になって、
昨日は、一晩中、まどろむことができなかった・・・
さわこさん、あなたは、この言葉、どう、受け止める?
「生ける屍ってこと?」
「ああ、そうだ!その言葉だ!」
「あなたは、その方のことが心配で仕方ないのね。眠れないほどに・・・
あなたのその方を思う気持ちに、イエス様の愛が反射しているわ。
イエス様は、毎日、毎時、毎分、毎秒。天の聖所で、私たち一人一人のために
執り成しのお祈りをしてくださっている」
「はい、そうです!そうです!その通り」
「クリスチャンにはイエス様の執り成しの祈りという後ろ盾がありますから。
神様を知りながらも、私たちは弱い。肉なる者です。イエス様を信じているにもかかわらず、生ける屍のような状態に陥る日もあります。
あなたにできることは、イエス様のみ名によって『主よ、その方を憐れんでください』って祈ることだけかもしれません・・・」
「ああ、さわこさん、あなたに電話してよかった」
「今夜は上弦の月がきれいよ」
「はい、わたしも、南の空を眺めていました」
電話の主と、私。20キロほど離れた住まいです。
同じ月を、今夜は眺めながら、
苦しむ神の家族のために
「主よ、我ら罪人をあわれみたまえ」と共に祈ります。
マラナ・タ
苦しむ人の心に、主イエスよ、来たりませ。
あなたさまの憐れみを注いでください。