ごきげんよう! さわこです。

 

私の信仰の親友の1人、桃ちゃんは6年生。4年生の時から安息日学校の聖書の勉強を一緒にしてきた。

6年生の二学期中盤になると、今年はあと13回、年が明けたら13回。26回しか一緒に学べない、と思うと1回1回が貴重だ。

学校行事で来られない日もある。病気になることもある。毎回が勝負なのだ。イエス様との距離が今よりももっともっと近づくために。

 

さて、昨日は、桃ちゃんと二人だった。相棒の敬君はお休みだった。

始まりのお祈りを桃ちゃんにしてもらった。

 

「・・・・祝福がありますように・・・」

「桃ちゃん、祝福ってどういう意味?」と聞いてみた。「うーん」と考えている。

 

「お祈りの時、祝福って、言葉は便利だよね。」といたずらっぽく言ってみる。

「うん、便利」

 

「そう、なんとなく、お祈りがまとまるしね」

「うん、うん」

 

「お手紙を書く時にも、『○○さんに祝福が豊かにありますように、お祈りします。さようなら』って書くと、いい感じだしね」

「うん、そう」と言いながら、

「祝福がありますようにって、良いことがありますように、幸せがありますようにって意味で使う」と桃ちゃんは言いました。

 

「そう!よくわかって祝福の祈りをしているのだね。すばらしい、アーメン」

 

「ところで、アブラハムの息子の名前は?」

「イサク」

 

「イサクの奥さんの名前は?」

「リベカ」

 

「二人に双子の子どもがいたね。」

「うん、いた。」

 

「名前は覚えてる?」

「ヤコブと・・・」わすれた。

「エソ・・・」とまでヒントを出すと

「エソウだ。」

 

「イサクはどっちの子どもが好きだったかな?」

「エソウが好きだった。狩りをして美味しい鹿の肉を仕留めてくるからね。」

 

「うん、イサクは肉が好きだったんだね。だから、エサウをひいきしたのかな」

「リベカは、弟のヤコブがお気に入りだった」

 

こんなふうに会話をしながら、アブラハム以降の聖書物語を思い出してもらう。

桃ちゃんはたくさん話してくれる。

ヤコブがレンズマメのスープで、エサウから長子の権利を奪ったことも、しっかり覚えている。

 

 

エソウとヤコブのやり取りから、二人の性格を語りあう。

「エサウって、目先のことしか考えない人だねえ。」となかなか鋭い。

 

「ヤコブは?」

「頭いいよね、でもずるがしこいよ。長子の権利が大事ってわかっていながら、大事なものと、スープを引き換えに出すなんて。

エサウがおなかが空いているのを狙って言うなんてね」

 

「ヤコブは長子の権利が大事だってわかっていた。エソウは、わかっていたのかな?」

「ヤコブほどにはわかっていなかったみたい」

 

こういう会話だから、とても盛り上がる。

 

そこで、「桃ちゃん、私がこの双子の兄弟の話を思い出してもらったのにはわけがあるの」

 

さらに、続きの話を、桃ちゃんに思い出してもらいながら、忘れたところは手助けをしながら、語ってもらう。

 

イサクが年を取って、目も見えなくなってきたとき、

「エサウにイサクの祝福を与えようとしているのを知って、リベカが計略をたてたのよ。でもそんなことしなくても、リベカのおなかに二人がいる時に『主は兄が弟に仕えるようになる』って言っていたから、そんなことまでしなくてもよかったのにねえ」

 

あとは、桃ちゃんが話してくれる。

ヤコブが父イサクから祝福を受けた後、エサウが帰って来て、祝福を全部取ってしまったことを知って

エサウは父に「祝福はたった一つしかないのですか」って言ったの。

 

「問題はここよ。桃ちゃんがさっきお祈りした祝福はたった一つだけ?他の人の祝福は祈れないの?」

桃ちゃんはびっくりしました。

 

「さっき桃ちゃんが祈った祝福と、聖書に出て来たこの祝福とは、同じかしら」

「もちろん違うよ」

 

「どんなに違うの?」

「私たちが祈る祝福を1グラムとしたら、この祝福は1トンだ。

この1トンの祝福をヤコブは欲しかったのだ」

 

「アーメン!桃ちゃんすごい、すごい例え方だね。では、続いて、系図の話に入るよ。」

「お姉ちゃんがね、夏休みに、アダムから始まって系図を書いていたの。ヤコブの12人の息子になったら、系図がややこしくなって、ノートに書ききれなくなって困ってた」

 

「そう、だから、今は、12人の息子の中からユダにだけ絞って考えようね。ユダの子孫からダビデが出てきたの。ダビデの子孫から・・・誰がお生まれになった?」

「イエス様!」

 

エサウの子孫からはイエス様はお生まれにはならなかった。ヤコブの子孫から生まれたのでした。

 

「私たちが願う良いことや幸せ以上のものは、罪を赦すイエス様を知って信じることじゃないの?」

「アーメン」と桃ちゃん。

 

「つまり、イエス様のお誕生につながる系図のためにはヤコブはなくてはならない人だったのじゃない?」

 

「そうだ!アーメン!だから1トン以上の祝福なんだ」と桃ちゃん。

 

「ねえ、桃ちゃん、人のための祝福を祈るときには、イエス様を知ってイエス様を信じる信仰を持つという祝福がありますように

って祈ることがいいのじゃないかなあ。」

 

「アーメン、そう思う。アーメン」

 

マラナ・タ

先週の桃ちゃんとの安息日学校分級の一場面でした。