ごきげんよう!さわこです。
苦痛を伴うことなしに神様の愛はわからない。
私たちの信仰する神様は、十字架に掛かりたまわれたお方だからです。
私たちの神様理解は
個人的苦痛を通して、確かにさせて頂けるように思います。
たといわれ 死の陰の谷を歩む時にも
わざわいを恐れじ
汝 我とともにいませばなり
汝の しもと、汝の杖、われをなぐさむ。
詩編23篇の一部です。
しもと・・・むち
鞭も、杖も、羊を外敵から守るためのもの。
私はここを文語訳で暗誦しています。
「文語訳で読んだって、今の時代の人には分からないのよ。
讃美歌だって、文語訳の分からない歌詞がある。
こういう、旧態然としたキリスト教会のあり方が伝道につながらないのじゃないの。」
こうした意見を聞くことがあります。
私は、文語体の日本語に価値を置く人間です。
マラナ・タ
この詩編23編を10数年前に暗誦していたおかげで、
苦痛を伴うことによって神様の愛が、前よりも分かるようになったと実感します。