ごきげんよう!さわこです。
今朝のデボーションをふたつ。
一つ目は
「今日の光」9月14日より。
「贖いの愛は、人間の心に存在しうる優しい愛情と自己犠牲的な献身を目覚めさせる。
正しく導かれた慈善は、人々の精神的、道徳的行動力を引き出し、困っている人々を祝福し、
神の目的を推進する上で、最も健全な行動を彼らに促す。」
心に留まった箇所です。
難しい表現で書かれていますが・・・噛み砕いて分かりやすく書いてみました。
私にとって理解できるように書き換えたのですが、他の方にとっては余計に難しくなったかもしれません。
ホワイト婦人の文書は、ストレートに霊感によってわかるところもありますが、
今日の読み物のように、分かりにくい時もあります。
英語の原文に戻ると分かりやすいのかもしれませんが、私の英語力では困難です。
さて、以下のように書き替えてみました。
イエス様の十字架の愛は、どんな人々をも、神によって造られた本来のあるべき姿に立ち返らせてくださる。
本当に新生された人々の慈善は、自己満足、自己実現、自己表現、自己主張、自己称揚、
他者からの称賛を意識したようなものではない。
正しく導かれた慈善は、与える側も与えられる側も、健全な神の似姿に立ち返らせる祈りの力となる。
イエスのとりなしの力が注がれるからです。
イエス様を信じることで、新しく生まれた私は、イエス様の赦しと愛のうちに生かせていただくことで、真実な善意の人になれたらうれしい。
正しい善意は、正しく導かれて無意識のうちに善意の人になれるのではないかしら。
「・・・いつして差し上げたのでしょうか?」と本人には記憶がないほどに、自然体で無意識の善意の行為なのです。(参照マタイ25:31-46)
次は、
安息日学校聖書研究ガイド9月14日金曜日の「さらなる研究」より。
「教会が魂の敵によって、理解力を混乱させられ、キリストのしもべの言葉と行動を誤り伝えて曲解し、
妨害するならば、主の祝福は取り去られる。
神のしもべの死によって、強情な人々が目を覚まし、捨て去った祝福に気づき尊重するようになるなら、
神のしもべたちの死は、生前になし得なかったことを成就するのである」
この箇所を読みながら思いを巡らせました。以下。
聖書の預言者の書を読む時、
その時代の為政者、権力者、声の大きい者、扇動する者と扇動されやすい民、そうした人々によって、
神の僕たちは迫害されてきたのです。
神の預言者たちは、旧約でも新約でも、反キリストや偽預言者に気を付けるように訴えています。
キリスト教会を名乗りながら、実は反キリスト行為をしつつ世的繁栄を得て来た存在があります。
まさに光の天使を装っています。サタンの巧妙な画策が浮き彫りになります。
人類歴史の裏で暗躍しているサタンの存在を否定出来ません。
聖書は創世記から黙示録まで神とサタンの大争闘が記されていのです。
しかし、神の勝利もまた約束されています。
「・・・あなた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている(ヨハネ16:33)
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14:1)
イエスの言葉に繋がって、今日も生きよう。
「生きているのはもはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)
とパウロが言ったように。
マラナ・タ
私のうちに住まわれるキリストによって、毎日、生かなくては生きられない私なのです。