ごきげんよう!さわこです。

私たちの役目は、信仰によって頼み、謙虚に待つこと。

私たちは父祖の時代から待っていた。

旧約聖書の時代の人々はメシアの到来を待ち望んでいた。

ところが、聖書の預言通りにメシアが来られた時、聖書の専門家や王たちは、わからなかった。

 

異教徒かもしれない東の国の博士や貧しい羊飼いにしか、

飼い葉桶の中の赤子が、久しく待ちに待ったメシアだということがわからなかったのだ。

身分が高くても、学識があっても、霊の目が開け、霊の耳が開かれなければ、

人はサタンの魔法から覚めない。

サタンはこの世の支配者である。エデンの園でアダムとエバが惑わされて以来。

 

ベツレヘムでお生まれになったみどり子が、十字架と復活、昇天によって、メシアだと証明された。

十字架(=過越しの祭り・ペサハ)、

復活(=初穂の祭り)、

そして復活から後40日間、イエスは沢山に人の前に現れ、弟子たちの前でパンを裂き、魚を焼き、共に食事をされた。

トマスには、手と脇の傷跡を見せられた。

そして、十字架から40日目に昇天された。

そのとき、天使は、こう言った。使徒1:11

「ガリラヤの人たち、なぜ天を仰いで立っているのか。

あなた方を離れて天にあげられたイエスは、

天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じありさまで、

またおいでになるであろう」

 

そのあと、五旬節の日に聖霊(御霊)が注がれた。

聖霊降下(=7週の祭り・五旬祭・刈り入れの祭り・シャブオット・ペンテコステ)

 
旧約聖書の祭りが、すべて、重なる。
ヨハネによる福音書5:39
「あなた方は聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書は私について証しをするものだ」
A牧師の作られた聖書通読表を用いて通読をするようになって、それから16年が経つ。
この通読表には、ユダヤの祭り、と新月、満月、二十四節気が記入されていて、月の満ち欠け、季節を感じつつ、読む楽しみがあった。
そのうち、ユダヤの祭りへの関心が深まって来て、さらに調べるようになると、このヨハネ5:39の通りだとわかるようになった。
だから、通読が大事なのだ。
部分読みで、満足していては、私は、自分の都合に合わせた慰めの書としての域を出なかったのかもしれない。
 
 

 

朝の散歩道、けいとうの花。小学生の時に覚えた花の名前の一つ。

イエス様を知ってから、けいとうが一輪、すくっと立っているのをみると、

イエスが捕えられてからの場面が次々と開かれて思い起こさせられる。

けいとうは、鶏頭と漢字が当てられている。

 

ルカ22:34、マタイ26:75、ヨハネ13:38

「イエスは言われた。『ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。』」

 

イエスのことを知らないと、ペトロが、三度目に言った時、鶏が啼きました。ヨハネ18:27

 

鶏頭の花の赤さに、イエスの血潮が重なります。

鶏頭の花は、ペトロの深い後悔、深い悲しみの色のようです。

 
 
 

この花、ひめふよう って言ったかな?

ひめむくげ だったかな?

古い記憶、野草に詳しい方から頂いたときに教えてもらった。

記憶は、次第に曖昧になってくる。

 

花の名前や、鳥の名前、雲の名前に、詳しい人には憧れる。

 

私は知らない事が多い。

聖書を読むようになって26年。

それでも、聖書に通じているとは言えない。

 

神様についても、知らないことの方が多いのだ。

でも、確かなことは、天国に行ったときには、わかるのだ。

知らなかったこと、もっと知りたかったこと。

 

何故?なぜ?なぜ?

と思い続けた、人生の不条理について、納得したい。

 

神様と顔と顔を合わせた時には、必ず、分からせていただける。

100%納得するだろう。

感謝と讃美に満ち満ちることだろう。

 

マラナ・タ

主よ、来たりませ。