ごきげんよう!さわこです。
ユダヤ人にとって、ユダヤ教にとって、イエスをメシアと受け入れることは困難なことだ。
困難にさせている原因の一つにキリスト教の、キリスト教会の、キリスト者の、存在がある。
マタイ27:15-26より
ところで、祭りのたびごとに、総督は民衆の希望する囚人をひとり釈放することにしていた。
そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。
ピラト(総督)は言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアと言われるイエスか」
人々がイエスを引き渡したのは、妬みのためだとわかっていたからである。・・・・・・・・
・・・人々は、バラバの釈放を望んだ。そして人々は、メシアと言われているイエスを十字架につけよ、と叫んだのだった。
ピラトは、群衆たちの騒動が起こることを恐れて、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、わたしには責任が無い。お前たちの問題だ」
民はこぞって答えた。
「その血の責任は、我々と子孫にある」
そこで、ピラトは、バラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
ユダヤ民族の悲劇の原因は、ここにある、と考えられている。
メシアであるイエスを十字架につけたのはユダヤ人だから、蒔いた種を刈り取っているに過ぎないと。
イエスを殺したユダヤ人を、キリスト教を信じる者たちは、
虐待しても差別しても迫害しても、そうする権利がある、神からのお墨付きをもらっているのだという、
病的な思想、神学が、キリスト教国に蔓延していったのか。
ユダヤ人撲滅運動は、ナチスが初めてではない。
近代になっても現代になっても、
キリスト教国のあちこちで起きてきたのだ。
さらに歴史をひもとけば、
ヤコブ(イスラエル)の子孫たちがエジプトでくらしていた400年の時代にもあった。(出エジプト記を参照)
ダニエル書にも、エステル記にも、ユダヤ人を撲滅しようとした記事を見つけることができる。
イエスを十字架につけるときに、ユダヤ人たちが言った「その血の責任は、我々と子孫にある」
という事件の遥か昔から、ユダヤ民族は、撲滅されようとされ続けてきたことが、
旧約聖書から読み取ることができる。
今、ナザレのイエスを、メシアと信じる信仰を神様から受け取る者は、幸いです。
イエスは、我が神、我が主、わが救い主。