ごきげんよう!さわこです。
 
「どういう悪いところへ入れられても、そこで、ありったけの力で生きていく」 鈴木秀子シスター

道端に咲いている名も知られていない花にも、
キリストの愛は、宇宙の美、秩序、叡智をあらわして、私たちの感性に呼びかけます。
 

「生きるとは、自分の置かれているこの瞬間を味わうこと。」(鈴木秀子シスター)
 
神は愛。 神は決してあなたを忘れてはいない。
 
「あなたはわたしの目に高価で貴い。わたしはあなたを愛している 」イザヤ43:4
 
「すべては受け取る側のこころひとつ」と鈴木秀子シスターは書いています。
この、受け取る側の心、意志、選びに働きかけてくださる神様の存在によって、
その置かれた場所がどれほど劣悪で、理不尽な結果であったとしても、
生きようとする力が湧いて来るのではないでしょうか。
 
マラナ・タ
受け取る側の心一つとは、神の導きにゆだねる心ひとつ。