ごきげんよう さわこです。

 

今日の空はなんてやさしいのでしょうか。  
西日本の未曾有の災害の爪痕を、この空は見ている。
2011年にも東日本は大地震と大津波に襲われ、未曾有の災害、想定外の災害と言われた。
多くの方々があっと言う間に命を失われた。
豪雨の被害はまだまだ続く。         
 
イエス様は地上人生の時に、弟子たちの質問にお答えになられ、世の終わりの特徴的現象をお話になった。(マタイ24章
日本だけでなく、世界中いたるところで地球規模の災害は起きている。
 
人類史上、マタイ24章のイエスの預言が該当しない時代や国々はあっただろうか。
人間の罪の結果がもたらす天災や人災を神のさばきであるかのように表現していいのだろうか?
そういうものの見方は、神への非難につながっていく場合もある。
 
勿論、最終的には悪は裁かれ完全に滅ぼされる。
それまでは、善人が苦しみ、悪人が栄えるかのように見える現象だって起きるのだと私は思う。
 
最終的なさばきに先立ち、イエスは御再臨なさる。
その時、神に結ばれて生きて来た者たちは天に引き上げられイエス様にまみえるのです。
 
私は悲惨な出来事に苦しむ人たちを見るたびに、神谷美恵子さんの詩「らいの人に」を思うのです。
「何故、あなた方は私達に代わってくださったのか」
 
被災された方の何故?には、因果応報論では答えられない。
もし、因果応報論の公式を当てはめるならば、明らかに間違っている。
 
誰がそうなってもしかたないことだったのだ。
私に代わって苦しまれた方、亡くなられた方、病まれた方がいらっしゃる。
 
人間の知力や道徳論では答えは出ない。
その疑問、その思いを神に差し出し
「平安を与えて下さい。慰めを与えて下さい。立ち上がる力を与えて下さい」
と祈らせて頂くしかない。
さらに「私に出来ること、私が為すべきことを教えてください」と願い求めるしかない。
 
私が出来ないことをしてくださっている方々や、苦難のうちにあるある方々を、
主よ、あなたの愛のみ手でつつんでください。
 
マラナ・タ 
主よ、来たりませ。苦しむ我らを憐れみたまえ。