ごきげんよう!さわこです。

今朝は肌寒い。

片づけてあったニットのベストを羽織り薄いスカーフを首に巻きました。

今日は週に二回の生ごみの回収日。

ごみ袋を持って外へ。見上げると美しい青空が。

私たちの教会での13回連続講演会。

今朝は「キボウのトビラ」マラナ・タ18 の6日目。

全国で153か所で開かれています。

11回目の講演に9時には、自転車を踏んで向かいました。。

家族のために昼食を用意しておきました。

午前中の夫の仕事が早く終わったら、待たせてしまいますから。

冷めても良い、献立を。

 

一時帰宅して、夕方の5時半には、また教会に向かいます。

1週間、朝と夕の講演会なのです。

一日に二往復のサイクリングは健康に良いですね。

 

この5日間で、ご案内をしたお友達が7人来てくださいましたが、

熱心に祈ってきたにもかかわらず来られていない方もいらっしゃいます。

 

今朝の光あふれる空を見て、冷たい風がその皮膚に触れて

「♪さあ、起きよ、主は来たもう・・・光の主は来たもう♪ と聖霊様が歌われる気配に心を開きますように」

朝の空気を吸って深呼吸した後、祈りました。

 

教団から出ている毎日のデボーションのための読み物「今日の光」 5月11日から、抜粋。

「光の天使は滅びるばかりの魂に、天の光と力をあなたを通して与えようと待ち受けているのである。

キリストが心に宿られるならば、そのご臨在の光を隠すことは不可能である」  

 

神様は私たちの熱心に同情されますが、

伝道の秘訣は♪住みたまえ 君よ ここに この胸に♪

 

イエス様を心に抱いて毎日、生きる。

生きると言うよりも、生かされると言う表現の方が正確。

 

私たちの命は、生かされて生きる。

 

この13回連続講演会に、中学時代の恩師が、来てくださいました。

「ほんとは毎回、来たいのよ。でも主人が高齢になって長い時間、一人にしておけないの。

私も、夜はバイクに乗るのも怖くなってね。

私、今まで学んできて、キリスト教には真理があると思うようになったのよ。」

 

恩師にはキリスト教に回心する前の数年間、

親業、カウンセリング、マクロビオティック、を学びました。

 

「先生、私が求めていた道は『聖書』にあると分かりました・・・」

とキリスト者になったことを手紙で伝えました。

先生のお勉強会から次第に足が遠のきましたが、

先生から学んできた「実学」は、聖書理解や聖書研究への向かい方、人間関係の構築にも役立ちました。

 

毎年の年賀状のやり取り。

他にも、聖書の世界からの新しい気づきと、先生から学んできた事とが響き合った経験をするたびに、お手紙を出しました。

先生からも細やかなお返事を頂いて、25年間、直接、顔と顔を合わせて語りあうことはなかったのですが、心は繋がっていました。

 

そして、とうとう、先生が講演会にいらしてくださったのでした。

先生は、「岡潔」や「古事記」を読むことの中で、(私も読んでいました・・・)

また、カトリックの神父から1年間、聖書を学ぶ中で、(そもそも初めての「親業」は私はカトリック神父から学びました)

創世記が理解できるようになったことなど話してくださいました。

でも、カトリックに入信する気にはなれなかった。

もっと、系統だって聖書を学ぶ必要があると思えた。

(私も聖書を学ぶ必要を感じたその日、SDAの文書伝道者が現れた)

だから、SDA教会で学ぼうと考えていたの。

そして、最終的にはキリストを信じる者になるだろう・・・

先生と私の一致したところは、日本民族こそ聖書を理解できる民だということ。

 

今回の講演会に、熱心においでくださった方々との出会いとつながりを振り返りました。

 

私が、

聖書を毎日読んでデボーションを続けていること。

安息日礼拝にあずかり続けていること。

祈祷会を大切にしてきたこと。

分からないことは、聖書を追求して求めること。

つまり、そういう方法で、イエス様との日々の交わりを26年継続してきたこと。

そこに聖霊様が働かれて、私の人生での、出会いを祝福して、育ててくださってきたこと。

 

だから、一人の友は13回の内すでに10回出席なさり、

ご家庭の事情やお仕事で、一回しか来られなくても、

通信講座で引き続き学びたいという気持ちを、聖霊様が起こしてくださった。

 

私がすることは、イエス様との関係を日々、持続し深めさせていただくことだけ。

特別に大きな活動や奉仕をするのではなく、ただただ、イエス様につながり、聖書を読み、

三位一体の神様の交わりの内におあずかりするだけ。

すると、後は、なすべきことを聖霊様が導いてくださる。

 

 

マラナ・タ

「13回連続講演会 キボウのトビラ」は、

私にとって現時点でのクリスチャン生活の総括のようなものかもしれない。

一時的な総括であり、その歩みは「ご再臨」まで継続します。