ごきげんよう!さわこです。

 

今、ヨハネの手紙第一2章7節8節を味わっています。

このふた粒を二時間以上味わいながら書いています。

 

7節

「愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたがすでに聞いたことのある言葉です。」

 

ヨハネの手紙1は、キリストの明確な姿を示すことによって、キリストに対する疑いを一掃しようとした。

この手紙の執筆はおそらく紀元85年から90年にエペソで書かれたらしい。この手紙に表題が無いので、特定の教会にあてられたものではなく、いくつかの異邦人集会に宛てられた書簡であり、全ての地に住む全信者に宛てられたものである。

ヨハネは老齢であり、おそらく12弟子の中で最後の人であろう。

このときには、パトモス島にはまだ追放されていなかった。

キリストの目撃証人として最後に残された弟子であるヨハネ。

新しい世代の信者に、イエスが間違いなく神であったこと、そのイエスが旧約聖書に預言されているメシアであるとの確信と自信を与えるために、偽りの教えに反論し、権威を持って書いた。

(以上は、新改訳聖書バイブルナビ 基本データーより、要約しつつ抜粋)

 

この手紙は誰に宛てたの?ユダヤ人?異邦人?

書いた時期はいつ?

黙示録よりも古いの?早いの?

 

そういう私の疑問に、バイブルナビの基本データーや注釈はなかなかのお役立ち。

百科事典のように大きく重いのだが、この1冊で疑問への答えを見つけることができる。

聖書への知識の少ない一般信徒が、忙しい牧師を煩わさなくて済ませることができるのは有難い。4年前に購入したのだが、傷みはじめてしまいました。

 

イエスの十字架と復活と昇天から50年以上過ぎると、イエスに対しての正当な見方が揺さぶられるようになってきていることが分かります。

12弟子たちは、ヨハネを除いて殉教してしまっています。目撃した人々も死んでしまいました。

 

生き残っている人で、確信をもってナザレのイエスこそは聖書に預言されていたメシアであり、聖書に書かれていた通りに死なれ復活なさったのだと主張しても、信じまいとさせるサタンの策略の罠にかかって、あるいはサタンの手下たちと心を通わせて不信の空気をまき散らす人たちもいたことでしょう。

 

また、事実を曲げて、イエスは霊魂として生きているのだとか、人々の記憶の中で生きているだけなのだとか、脚色したドラマ仕立てにして、語る偽預言者たちも出てきているのです。

その教えは信憑性のあるかのように語られるのです。

 

しかもイエス様のご再臨は50年を過ぎても起きないのです。

 

偽預言者たちの思想に心惹かれていく信者たちも出てきているのです。

ですから、ヨハネのこの手紙は、各教会に回覧されて信仰が励まされたことでしょう。

 

イエス様の十字架・復活・昇天から2000年が過ぎた私たちにとっても、信仰の励ましとなる手紙であり、ナザレのイエスが実はどうであったのかが、残った一人の弟子である生き証人の手紙として信じるに足るのです。

 

イエス様のお弟子である、しかもイエス様の地上人生を共に過ごし、十字架・復活・昇天を目撃したヨハネ大長老が、私のことを「愛するもの」と呼び、私宛に書いてくれている手紙なのです。

もうそれだけで感動!

古い掟とは、旧約聖書に綴られている掟。

 

8節

「しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなた方にとっても真実です。闇が去って、すでにまことの光が輝いているからです。」

 

旧約聖書の預言がイエスによって成就しました。

成就されていない預言は、イエス様の再臨のみ!

ご再臨の時、天の御国に上げられるにふさわしい人となるための条件は十戒に記されています。その生き方が出来るように聖霊様はイエス様を信じることができるように私たちを導いてくださいます。

 

旧約聖書で預言されていたメシアであるキリストが現れて、人類を救いへと導くために、人類の罪を背負って身代わりとなって、罪の問題を解決してくださった。

そのことを聖書の御言葉の通りであると信じるものには、

まことの光がわかる、まことに光のうちに生きる。

 

旧約聖書は古いわけではないのですが、旧約聖書で約束されていた預言されていたメシアが、実体となって現れたその事実が新約聖書として、旧約聖書(律法と預言者の書)の掟が、新しい掟として、続いて書かれているのです。

 

ナザレのイエスがメシア(キリスト)として、人の子としてどのようにお生まれになり、どのように生きられたか、旧約聖書で、祭儀を通して預言されたメシアご自身が、どのように旧約聖書の律法を解釈して教えられたか、律法の作者が律法を正確に解き明かされた記録が福音書。

 

律法を熟知していた弟子たちは、その書簡をもって解説している。

律法の書(旧約聖書)のコメンタリーが新約聖書。

イエス様のご再臨を50年以上待ち続けている信者たちが惑わされないためにヨハネは書いたのです。

 

そしてイエス様のご再臨をさらに1950年以上も待ち続けている信者たち。

待つことができるのは聖書の言葉を信じるからです。

聖書の言葉はイエス・キリストそのものだからです。

 

マラナ・タ

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」コリント第一13:13

神の愛が日々注がれるから信仰も希望も持つことができます。