ごきげんよう!さわこです。
ある姉妹からヨハネ第一の手紙2章2節から4節までドロップ三つのお便りが届きました。
ごきげんよう!さわこさん。
いつも、しっかりと味わえるのか不安な気持ちで口に含むのですが、落ち着いて溶かしていくようにしています。
2節「この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」
「この方こそ、、、いけにえです」
↓
神はイエスを、罪を償う供え物として人々に遣わした。
イエスの死は、神とイエスを信じる人々との間の障害となる罪を取り除くための犠牲であった。
→神様はわたしたち、そして全世界の罪を償ういけにえとしてイエス様を送って下さった。
→イエス様なくしてわたしたちの救いはない。ありえない。神様はわたしたちを救おうとして下さっている。
→わたしたちがすべきこと。
神様、イエス様、聖霊様を信じ、共に歩んでいくこと。
3節「わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。」
“神の掟を守る”=“神を知っている”
→日々の神様との交わりによって、神様を知る。
→“神の掟”をいつも守っていられる様に、どんな瞬間にも神様と共に。
→マラナ・タ「神よ、来てください。」
4節「『神を知っている』と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。」
「神を知っている」とは、神の掟を守ること。
→すると真理が内に生まれてくる。
→神の掟を守って畑を整えなければ、真理の芽は生えてこない。
以上です。
それでは今日も神様と共に過ごせますように!
この姉妹が、ヨハネの手紙を1節ずつ口に含みながら、聖書に記されている本質を表現し確認していっておられることが、伝わってきます。
彼女のデボーションを分かち合ってくださることがとてもうれしい。
こうして、イエス様を真ん中において、私たちは霊の交わりをしているのです。
このような信仰の友、信仰の姉妹を持つことが、お互いの霊的成長のためにどれだけ大切なことでしょうか。
マラナ・タ
信仰の友は神様からの贈物です。
私にとって、み言葉のドロップスを味わう喜びと共に、
信仰の姉妹からの分かち合いのドロップも味わわせてもらっています。