ごきげんよう!さわこです。

昨日、安息日学校の時間にさせて頂いた証しです。

 

私たちは、神様の恵みの業を直接的に、個人的に体験させていただくことがあります。

神様の方法を個人的体験として実感することがあります。喜びに満たされ、神様への感謝と讃美に溢れます。

3月7日、水曜日に、○○町にあるデイサービスの施設○○荘を訪問いたしました。

腹話術人形のななちゃんと牧師、有志の方々で、老人施設訪問を定期的にさせていただくようになって、8年になります。△△病院には年に3回から4回、◇◇市の◇◇の里、○○町の○○荘、□□町の□□苑にはクリスマスシーズンの時期にキャロリングという形で訪問してきました。

このたび訪問した○○荘さんで、去年のキャロリングに行ったとき、担当者さんが

 

「実の所12月だけでなく来ていただけたら嬉しいのだけれど、教会さんもお忙しいと思うから無理なお願いをしてはいけないと思っています。私どもの施設も近年、状況が変わってきました。おいでくださるお年寄りの家庭の背景が、とても寂しいものになっているのです。お年寄りの独り暮らし。ご夫婦二人暮らしであっても、一方が認知症。火を使うと危ないから、冷めた配達のお弁当。会話もなくなって、本当に寒々とした寂しい生活なのです。クリスマスの時期にこうして来ていただけると、心がぽっと温かくなる。この暖かさをもっともっと味わわせて差し上げたい」

 

このようなことをお話されました。

「私たちは、こちらさまも年間スケジュールが決まっているとばかり思っていました。12月以外にも訪問させていただいてお構いないのですか?」

「もちろんですとも!」

そういうわけで、3月7日の訪問が決定したのでした。

 

当教会の牧師を団長に、司会者は腹話術人形のななちゃん、私はななちゃんの助手。

ピアノ伴奏は、M子さんとY子さん、Mさんのクラリネット、A子さんのハーモニカ。

10名の有志のメンバーです。そのうち二人は30代ですが、後は60代以上です。こうした施設にお世話になるのも遠い将来ではないのですね。

 

歌った歌は

・     早春賦(春は名のみの)

・     春が来た(春が来た)

・     ひな祭り(あかりをつけましょ、ぼんぼりに)

・     仰げば尊し(仰げばと尊し)

・     花(春のうらら隅田川)

・     朧月夜(菜の花畑に入り日うすれ)・

・     上を向いて歩こう クラリネットとピアノで

・     讃美歌いつくしみ深き 牧師の独唱

・     小さな幸せ(歌詞をゆっくり牧師が朗読して、皆さんに味わってもらいました)

・ 幸せなら手をたたこう  この2曲は聖書の言葉から作られた近年の讃美歌とも言えます。

 

この歌の後、牧師がお祈りをしました。

喜ぶこと、感謝することは、神様から頂く幸せの秘訣だということ。喜びと感謝の心を神様に目を向けることで小さな幸せは大きくなって来る。

 

・最後の歌は恒例の「ふるさと」(うさぎおいしかの山)

 

私たちは神様に造られた存在であること、それ故に天国という共通の故郷を持っていることに思いを向けます。

今回はアンコール曲も用意していました。

天国を歌った讃美歌「まもなくかなたの」です。

 

30人ほどいらっしゃった施設の皆さんも声を上げて歌ってくださいました。

私の問いかけにも反応が見事にありましたし、うなずきながら、笑顔で聞いてくださいました。

 

最後は、ななちゃんが全員にご挨拶をして回ります。ここの施設は男性と女性と半々でした。

ななちゃんと握手をしたり、頬ずりをしたり、抱きしめてくれたり。

「また来てね、また来てね」と次回の訪問を期待してくれました。

 

春の歌を順番に歌いながら、自然に神様につながって行く訪問となりました。

キリスト教会として訪問させていただくならば、つかの間の喜び、つかの温かい交わりにとどまることなく、皆さんの心の中に記されている神様の律法に焦点を当てる機会とさせていただきたいということが私の長年の願いでした。

皆様方に、幼いころの、若い時代の喜びを思い出して頂き、年老いて不自由になり、孤独を感じる今でも、小さな喜び、小さな感謝を思い出してゆくきっかけを提供させていただけるなら、小さな幸せを大きく膨らましてくださる神様のお手伝いとなるのではないでしょうか。

腹話術人形のななちゃんひとりではできません。

教会の仲間たちが協力し合ってこそできる愛のわざです。

 

「小さなかごに花を入れ」という讃美歌があります。

その中でこのように歌われています。

「愛のわざは小さくても、神の御手が働いて、悩みの多い世の人を明るく清くするでしょう」

私たちの小さな愛の業に、神様の御手が働いてくださいました。

 

私はプログラムを造りながら、神様の強い応援と導きを感じて次第に胸が高鳴りはじめました。その時です。

「こういう時にこそ、真の謙遜を学ぶ機会である。あなたは神が聖であることをもっともっと深く覚えよ。靴を脱ぎ、御前にひれ伏せ」。

有頂天になってしまいそうな私に、神様はこのように諭されたのでした。

 

ご奉仕の日の前日の朝、当教会牧師のインターネットでの6時のメッセ―ジの題は

「悔い改めの祈りをささげるように」でありました。

 

神様はタイミングを計られるお方です。

私のともすれば無意識に陥ってしまうかもしれない高慢の罪を神様はお示しくださり救いの手を差し伸べてくださいました。

私は御前にひれ伏しました。「神様、ありがとうございます」。

 

ご奉仕の日に向けて、メンバーと連絡を取りながら曲を決めていきました。

お二人はピアノやクラリネットの練習をして準備なさいました。

先週の安息日の礼拝の後、参加者は歌の練習をしました。

 

全体の流れを把握している私に神様は恵みの責任を負わせてくださいました。

プログラム編成の仕上げとして、

神様は「神を聖なるもの」とすること、「靴を脱ぎ、へりくだるように」とお示しくださったのでした。

そして「さあ、行け。私についてきなさい。準備はできた。地の塩としての働きをあなたたちに与えよう」そのように聞こえました。

プログラムの内容のすべてを信徒に任せてくださった牧師先生が深い祈りで支えてくださいましたことを、そして教会員の皆様のお祈りにも併せて感謝申し上げます。

 

今日は(3月10日)聖なる、洗足・聖餐式。

神様、私たちの内にある無意識の高慢を砕いて取り去り、私たちの霊性を清め整えてください。神様の謙遜をお与えください。互いにイエス様に愛された者として愛し合う心を育てていけますようにお導きください。私たち一人一人が通り良き管となりますように。イエス様の弟子として成長させてください。そして、神様のご用のために私たちを用いてください、と今朝、祈りました。

 

―最後に「小さな幸せ」を訪問した者たちで歌いました― 

このような報告を兼ねた証しを致しました。

 

小さな幸せは、和歌山県のクリスチャンの谷本智子さんの作詞作曲です。

Youtubeに出ていますから、是非とも検索してお聞きになってください。

歌詞を載せておきます。

 

1、小さな 小さな 幸せは 小さな 小さな喜びから 

いつだって どこだって みつかるよ 小さな喜び 

神様が教えてくれた いつも 喜んでいなさいと 

小さな幸せは ほんとは大きな幸せ

 

2、小さな 小さな 幸せは いつでも どこでも 感謝から 

どんなことが 起ころうと忘れないで 感謝 

神様が教えてくれた こころ温まる方法 

小さな幸せは ほんとは大きな幸せ