ごきげんよう!さわこです。

 

聖書通読ルカによる福音書を読みながら「自分の十字架を負い・・・」について考え巡らしています。今回は新改訳聖書バイブルナビを用いています。

ナビの解釈も分かるのですが、EGホワイトの解釈はどうだったのかと、「希望への光884ページ第45章 十字架の前兆」を開きました。すでに、赤、青、黄で数か所にラインを引いてあります。少なくとも4回は読んでいます。それでも、記憶にきちんととどまっていません。

 

ところが、肝心の箇所の手前の文章に目が釘付けになりました。

各時代の希望中巻173ページ「第44章 真のしるし」です。

 

引用

・・・利己主義の精神が心に宿ると、それは魂を堕落させ、滅ぼしてしまうのである。

昔と同じように今日も、主イエスに従う者の中に、この陰険で欺瞞的な罪がどんなに広く見られることだろう。

キリストへの奉仕やお互いの間のまじわりが、自分を高めたいとのひそかな欲望のためにどんなにしばしばそこなわれることだろう。

自己満足の思いと、人の賛成を願う心が何とすぐに起こりがちだろう。

 

柔和な言葉を選んで言ってくれても、要するに

「あなたは利己的よ」「あなたは自分を高めようとしているわ」

と聞こえてしまうことがある・・・推察力があるのかもしれないが、邪推かもしれない。

陰険なのは、私なのか?あなたなのか?どちらもそうなのか?

 

マタイ7:2「あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」

とのイエス様のお言葉が心に浸みる。

私たち人間は、お互いに自分の量る秤でしか、人を見ることができないのかもしれない。

この御言葉は、「自業自得」を知らせてくれているのでもある…と思います。

 

神を見上げよう!神の目線であらゆることを見ることを教えていただきたいと願い求めよう。

自分たちは、神様の贖いの救いなしには、こういう状態から解放はされないことを自覚するとき、悔い改めへと導かれて行きます。

 

引用

キリストの宗教は誠実そのものである。

神の栄えをあらわそうとする熱心さは、聖霊によって植え付けられる動機であって、この動機を植え付けることができるのはみたまの効果的な働きだけである。

利己心と偽善とを追放できるのは神の力だけである。

この変化こそキリストが働いているしるしである。

われわれの受け入れる信仰によって、利己心とみせかけとが滅ぼされる時、また、この信仰によってわれわれ自身の栄えではなく、神の栄えを求めるようになる時、われわれはその信仰が正しいものであることがわかる。

 

マラナ・タ

主よ、私たちの内に潜む利己心と偽善を追放してくださいと祈ります。

無意識のうちに、気づかないままに、密やかに入り込んできる偽善と利己心。

主イエスの御名によって、命じます。

「利己心と偽善よ、今すぐ出て行きなさい!」と。