ごきげんよう!さわこです

12月2日の安息日のこと。

私は、子どものクラスの分級に遅刻してしまったのでした。

「ごめん!ごめん!」と言いながら入っていくと5年生の敬君と海ちゃん、4年生の音ちゃんの三人が、「イエスさまといっしょ」のテキスト第8課を輪読していたのでした。私はその光景に驚きました。

 

「遅刻してごめんなさい。」と言って、読んでいるテキストのページを確認して目で追いました。

子どもたちは自分たちのペースを崩すことなく最後まで輪読を終えました。

 

「遅刻して本当にごめんなさい。でも、私、すごく感動しました。

だって、こういうあなたたちを見るのは初めてだから・・・。

今までのあなたたちだったら、私が遅れた時どうしていた?」

 

子どもたちはにこにこしながら

「さわこさんを呼びに行く」

「お喋りをしたり、遊びながら待っていた」

と、言いました。

 

「そうよね、こんなこと初めてよね。私、うれしくって涙が出そう・・・。

さて、今日のテキストで、一番大事なところはどこか教えて。

音ちゃんはその文章に線を引いていたね。

海ちゃんと敬くんも、きっと同じ個所だと思うの。いっせいに読んでくれる?」

 

三人は、声をそろえて

「礼拝とは『神様、わたしはあなたを愛しています』ということなのです。

でも、それは言葉だけでなく、わたしたちのあらゆる行いによって表わされるのです。」

 

「そう!三人とも、輪読しながら同じところに心が引かれたのね。

聖霊様が働かれたということね。

イエス様は『二人または三人で私の名のもとに集まる時には私も共にいる』っておっしゃった。

だからこそ、私を待つ間に、自分たちのすべきことがわかったのね。すごいね。

聖霊様を体験したのね。」

 

私の心はますます熱く燃えてきました。

ローマ人への手紙5章を開いてくれる?」

 

ちょうどそこに、遅れて4年生のまゆこちゃんがやってきました。

毎週来られるわけではない、音ちゃんとまゆこちゃんも加わったことで、

敬君と海ちゃんのうれしさが伝わってきます。

 

子どもたちはカバンから聖書を取り出しました。

全員が聖書を忘れずに持っている!ということもめったにないこと。(笑)

誰か一人は家に忘れていたり、メールボックスに置いたままになっていたりするのです。

 

「5章20節の、しかし、というところから読んでください」

 

「しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」

 

「そこに、線を引いてくれる?」

「もう引いてあるよ」と子どもたち。

以前にも、私はこの聖句を子どもに紹介していたのでした。

 

「今日、私は分級に遅刻してしまいました。私は失敗をしました。私は罪を犯しました。

それなのに、神さまは素晴らしいことをしてくださいました。」

 

すると、子どもたちは「そうだ!聖書の御言葉の通りだ!すごい!」

 

「あきらかに、私、失敗したよね。私、みんなに迷惑かけたよね。罪を犯したよね。

悪いのは、わたし!わたし!わたしが悪かったのよ。」

 

「私が悪かった!」と強調するたびに、子どもたちの笑顔が大きくなりました。

 

「それなのに、どういうことが起きたの?」

 

「私たちが、自分たちで分級を始めていた」

「遊んだりしないで、テキストを読んでいた」

 

「そうでしょ。そうでしょ。いつもと違う素晴らしいことが起きていたのよね。

聖霊様が働いてくださったのよ。私が罪を犯したにもかかわらず!

皆さんにごめんなさい、という前から、神さまは、皆さんの心に働いてくださった。

皆さんは聖霊様の促しにきちんとお答えしていた!

 

「御言葉の通りだ!前にも、ここは聞いたことがあったけれど、

今日は、自分が体験したのでよくわかった!」と

敬君は頬を紅潮させて言いました。

 

恵みが満ち溢れるって、こういうことなんだ・・・

 

遅れてきたまゆこちゃんは、詳細はわからないものの、

それでも、とにかく素晴らしいことが起きている。

みんなが喜びあふれている・・・という空気を味わいました。

子どもたちの感動の波紋が広がっていきました。

 

終わりのお祈りを海ちゃんが買って出ました。

メンバー全員がそろったことへの感謝と御言葉を体験した喜び、これから始まる礼拝への感謝・・・。

 

私は「今日のお礼拝の特別讃美歌は『エリム』がコーテットで讃美するから聞いてね。

エリム』は敬君ママと幼稚科のみっちゃん先生と牧師先生と、わたしで四つのパートで歌うのよ」

 

すると、海ちゃんが『エリム』ってどういう意味があるの?」

よくぞ、聞いてくれました!

 

「出エジプト記の15章に出てくるの。紅海を渡ってから、荒れ野を三日間進んで、喉が渇いたのに水が無いのよ。

やっとマラってところに着いたのに、マラの水は苦くて飲めなかったの。

そこでモーセが、主の示してくださった一本の木を投げ込んだら、甘い水に変わったのね。

その苦い水の出るところから、7マイル(11キロ)先には

12の清らかな泉と70本のヤシの木の生い茂る緑でいっぱいの場所があったの。

そこ場所がエリムというところだったの」

 

すると海ちゃんが、

「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました、と一緒だね!」

 

私は5年生の海ちゃんの御言葉の理解と適用力に驚きました。

小学生上級生のクラスに聖霊様が降って満ちている・・・という驚きが広がっていきました。

 

マラナ・タ

確かに、主はそこにおられます。

子どもたちのクラスに聖霊の神様が満ちておられます。