ごきげんよう!さわこです

 

マルコ1章35節から、  イエスに倣う真剣な祈りの時間の確保の仕方を学びました。

「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」1:35

 

紫の字はバイブルナビの注釈です。

多くの働きがなされなければならないのに、イエスは一人祈っておられたので、弟子たちはいらいらしていたのかもしれない。もしこのとき、あなたが祈っておられるイエスを見つけたら、どのように応じただろうか。

宣教の遅れを取り戻そうとするあまり、一人になる時間や、個人礼拝、そして祈りの時間をおろそかにしてしまうことがある。

真剣な祈りの時間を見いだすために、おそらくあなたは自分のスケジュールを改める必要があるだろう。

重要なのは

①多忙なスケジュールに思考力が乗っ取られる前に主を求める。

②雑音や要求から退く、そうすれば神に精神を集中させることができる。

③イエスに倣い御父との定期的な霊的交わりを持つ。

④イエスが命がけで優先したことについてよく考える。

⑤危機の時だけでなく、定期的にもっと祈るよう決心する、ということである。

⑥祈りがイエスにとって重要だったなら、信者にとっても重要なはずである。

 

私にとって、朝まだ暗いうちに起きて、座禅を組んで瞑想の祈りをすることで、個人礼拝がスタートすることの恵みは大きい。

10年前に浄土真宗のお寺のご住職の開催する座禅断食に参加して、座禅を組んで丹田呼吸をする瞑想の方法を教えていただいたことはとても有難いことだった。

丹田呼吸でのタイミングを教えもらって出来るようになるには無器用な私は苦労した。

 

12月、2月、4月。二泊三日で二カ月おきに三回参加することで、どうやら、私なりにつかむことができた。家庭を持ち、仕事もある身で、こうした時間のやりくりができたこと、また、自転車族の私一人ではとても行くことのできない距離であったのだけれど、ご一緒してくださって車に同乗させていただける友を与えられたことも感謝だった。古くからの知人で何年もご無沙汰していた彼女との不思議な再会。そして、同じ信仰を持っているわけではないけれど、興味の対象や関心事を共有できる相手だったことに、昔は互いに気づいていなかった。

神様は相応しい時に、相応しい友をお与えくださる、配慮のあるタイミングを大事にしてくださるお方だと感謝しました。今も彼女からは、折にかなった知恵や情報を頂いています。

 

さて、そういう神様のお計らいのおかげで、朝、目覚めと共に、神様の御腕の中で瞑想と祈りに入ることができます。

その後、身づくろいをして、聖書通読、デボーション、と続くのです。

御言葉に聴くという方法も、アシュラムを通して訓練を頂きました。

仏教のお坊さんや、日曜教会の牧師さんや信徒さんからも、祈りのための大切なノウハウを伝授して頂いたのです。

腹話術もそのうちの一つです。

座禅・丹田呼吸によって、人形の声を出せるように自然となっていたのですから。

 

 

マラナ・タ

振り返ってみると、神様の準備してくださるタイミングに驚きます。

神様の愛のカタチ、愛の方法、愛のタイミング。

まだまだ、待たされている課題もあるのですが、

神さまの愛の真実、神様の誠実を私は頂いてきているのです。