ごきげんよう!さわこです

 

私の通読表には、欄外に注釈がついています。そこには以下のようなミニ知識が書かれています。 以下、青字

スコット(仮庵の祭り)」8日目(聖地以外では9日目)に「トーラー歓喜祭」が守られます。

次の安息日から、ユダヤ人は新たにトーラー(律法)を読みはじめます。ユダヤ人は聖書の創世記から申命記まで(モーセ五書)を1年間かけて毎週朗読していきます。この通読表もそれを参考にしています。2017年度は10月13日(金)から新しい通読サイクルが始まります。

 

というわけで、10月14日の安息日は、創世記1:1から6:8を読みました。

15日の日曜日は、詩編2-4編と箴言25章を読みました。

16日(月)は、エレミヤ1,2章。マルコ1章。

17日(火)は、エレミヤ3,4章。マルコ2章。

18日(水の今日は、エレミヤ5,6章。マルコ3章。

 

17回目の聖書通読は、新共同訳・バイブルナビを用いています。

バイブルナビの注解からは、お恵みを頂きます。

4月から9月までの教会祈祷会で、マルコによる福音書を輪読し、牧師から解説をいただき、参加者でそれぞれが聖霊からいただいた気づきを分かち合いしました。

 

新しく赴任した青年牧師は「マルコを読んで、祈り合って、イエス様をよく知りましょう」という目的でマルコを選ばれたのでした。祈祷会の参加者は昨年、バプテスマを受けられた方や、信仰歴の短い方がいらっしゃいます。

祈祷会では、新しい気づきも多く、また、もっと深く学びたいところもありましたが、1章ずつ学んでいきましたから、結構スピードが速くて、気になった所を深められなかったりもしました。

 

ですから、今回の通読の新約のはじまりがマルコでしたから、祈祷会の時に気になっていた箇所を、もっと深めてマルコをしっかりと捉えておきたいと思いましたので、バイブルナビを選んで良かったと思います。

 

私の中でヒットした箇所をバイブルナビの注釈によって紹介していきます。

 

○イエスはしもべとなって来られました

ここが、マルコによる福音書の中心聖句です。

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」10:45

 

私たちの神でありメシヤであるイエス様は、しもべとなって、私たちの歴史の中に入って来られました。イエス様はご自身のことを『人の子』と言われました。マルコ2:10

 

人の子とは、イエスが完全に人であることを強調する称号です。

 

イエスは神の子であられるのですが、『神の子』ヨハネ20:31という敬称は、イエスが完全に神であることを強調しています。

 

神の子として、イエスは罪を赦す権威を持っており、

人の子としてイエスは私たちの苦しみを共有することができ、罪に打ち勝つよう私たちを助けることがおできになられるのです。  (マルコ2:10と8:31のバイブルナビ注釈より)

 

ここは、とても重要なことです。

神性と人生を併せ持つ救世主であることは、人類が神の愛のご性質を理解するのにもっとも適切な方法なのです。

神様の深遠なる智慧にただただ驚きます。

 

マラナ・タ

イエスが神性と人性をもって、地上におくだりになられた

ということの意味深さに心がうたれました。