私は外国語が苦手です。
いまさら、英語の学び直しや、あらたな外国語にチャレンジする気もなく、
その時間を、日本語の学び直しに用いたいと思っています。
いまふうの日本語について行けません。
何でもかんでも「ヤバイ」にひとくくりにするとか、
否定的なニュアンスを 「イタイ」で済ましてしまうとか。
言葉は生き物で、時代とともに変遷することは知っています。
否定的な言葉がいつしか肯定語に変わってしまうとか、
発音そのものも、万葉の時代とは異なってしまっているとか・・・
私の使う単語や言葉が、今の世代の人には伝わらないことも結構あると知って愕然としました。その言葉の意味の説明をしなくては、話しが伝わらないのです。
そういえば、最近「ひなびた」と表現したら、
「古びたという意味ですか?」と私と30歳以上の年齢差の青年に言われました。
「失礼ですね」私より15歳若い女性に言われました。
私より3歳若い女性からは
「ノスタルジーを感じさせるという意味にとりましたよ」と言って頂きました。
私の思いはどれがピッタリでしょうか。
勿論、最後の女性の理解です。
私が「ひなびた」という言葉を知ったのは、中学生かその頃だったでしょうか?
古典の授業の中で、源氏物語だったかしら、「ひなのくに」と、都から離れた田舎地方という意味で「鄙(ひな)」という言葉を知ったと思います。
昔も、今も、都会(都)がすぐれていて、地方(田舎)を蔑む人たちがいます。
価値観の違いなのでしょうが、私にはそうした価値観はありません。
その写真の背景が、ノスタルジーを感じたので「ひなびた背景ですね。いなか(故郷)にお帰りになっていたのですか」とたずねたのでした。
私にとっては、田舎とは故郷のニュアンスです。
しかし、田舎を軽蔑語として受け取る人もいるわけで・・・
故郷→田舎→ひなのくに の連想でした。
しかも、ひなのくに とは少女時代に古典(古文)の教科書によって覚えた言葉でしたから、格調高い印象が私にはあったわけです。
3歳違いの女性には、その感性が伝わったのですが、
15歳、30歳・・・と離れてしまうと、通じなくて「失礼極まりない不快な言葉」として聞こえたのでした。
しかし、同世代であっても「ひなびた」をマイナスイメージで使う人、聞く人も、いると言うことを覚えていなければならないと自分に言い聞かせたのでした。
知らない言葉を、使われる時、聞く人にある種のショックを与えてしまいます。
自分は教養のない人だと蔑まれているのではないだろうか・・・自己卑下型。
知識をひけらかして感じの悪い人ね・・・他者見下し型
「あなたって、物知りねえ。賢い人ねえ」・・・という無邪気に聞こえるほめ言葉の裏にある否定的な気持ちも、不思議と伝わるのです。
古い日本語に慣れている人は、察する能力に長けているのですから(笑)
まさにジェネレーションギャップです!
80代 90代の方になると 横文字、カタカナ語の例えば、
「ノスタルジー」も「ジェネレーション」も「アイデンティティ」も伝わらないのです。
かつては、言葉の相互理解の年齢の幅は、もっと広かったと思います。
古語に関しても、お正月には一族で「百人一首」で遊んだりしていましたから、
日本語の古い言葉や言い回しで話しても伝わっていたと思います。
結論は、私の年齢マイナス3歳、そして、私よりも年上の方々でないと、私にとっての「普通」は通用しないということです。
言葉は時代と共に変遷していくものであると分かっていても、古き良き美しい日本語を理解できる人が減少していくのは、「亡国」的に感じてしまい悲しくなりました。
いまの若い人に理解できる言葉を意識しなくては、誤解の上に誤解を積み上げて行くばかりかもしれません。
察する能力も、「深読みすることの不健全さ」として指摘されたこともありました。
事実を、情報提供として伝えることの大切さを話してくれたのですが、
「聞く側の人には、感情があるし、思い込みという固定観念もあるし、今までの体験に元づいて、聞くしねえ・・・単なる情報として伝わる保証はないと思いますよ」と問うてみました。
人間関係はややこしいです。
人間は、複雑にできています。