ごきげんよう!さわこです。

相変わらず、ちっとも、ごきげんでないわたしです。

 

今日は、家族で長距離ドライブ、姫路城に行ってきました。

私は、姫路城の近くの国立病院で生まれ、赤ちゃん時代は姫路で過ごしました。

銘菓「玉椿」をお土産に買いました。

疲れすぎて、頭が冴えてしまいました。

 

今、信仰の親友にすすめられて、アンドリュー・マーレーの「謙遜」を読んでいます。

最初に読んだのが2002年4月。今回で7回目を読みます。

 

この本の最後に、「謙遜のための祈り」が勧められています。

 

「・・・一か月だけ、この世から、すべてのこの世的な会話から離れなさい。・・・書いたり、読んだり、考えたりしないように。すべての知性の働きも感情の働きも止めるようにしなさい。・・・しばしばひざまずいて、座っているときも、歩いている時も、立っている時も、継続的に、熱心に次の祈りをささげなさい。」

 

「神が、その大いなる善きご意志により、あらゆる種類、あらゆる形式、あらゆる程度の高ぶり(それが悪霊から来たのでも、自分の腐敗した性質から来たのでも)を私に知らしめ、私の心から取ってくださるように。そして神が、あなたのうちに深い謙遜の真理(それはあなたが主の光にあずかり、聖霊に満たされることを可能にするものである)を目覚めさせてくださるように」

 

この問題で祈ること以外のあらゆる思いを退けなさい。

 

この世から離れることは現実的に無理です。

家族がいます。仕事があります。一か月の間、それらから離れ切ることはできません。

 

結局のところ、自分流に短縮してしまうことにしました。

マーレーのおススメを、私の祈りとするための工夫です。

 

「神よ、私の神よ。あなたのその大いなる善きご意志により、あらゆる高ぶりを、私に示し知らしめ、私の心から取り去ってください。私のうちに、深い謙遜の真理を目覚めさせてください。主の光にあずかり、聖霊に満たされることを可能にしてください。」

 

 

マラナ・タ

祈りたいことは沢山あります。執り成しの祈りをしたい人が何人もいます。

しかし、今の私の心は千々に乱れているのです。汚れて清くないのです。

今までだってそうであったのに、それに気づかないだけでした。

このシンプルな祈りだけを祈りなさいと、

神様がマーレーを通して教えてくださったのは、無器用で愚かな私への計らいです。